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作 今村翔吾
絵 北村さゆり 40 六波羅軍の半ばが川を渡ったときだった。 突如周囲から喚声があがり、人が湧き出て三つの大きな塊となった。 そのとき逃げていた楠木軍は踵を返して塊の一つと合わさって敵の正面に、残る二つは左右から襲いかかった! その数二千。 川を渡るので陣形を伸ばし切っていた六波羅。先頭集団は千ほどになっていたのでたまらない。 這う這うの体で京へと退却させた。 東条はお祭り騒ぎだった、と母が目を細める。 次に出たのは宇都宮公剛。坂東一の弓取りの猛将。 弱い六波羅に業を煮やして自分が出る、と主張し三十騎で摂津へ出陣。追従する者を合わせても三百騎ほど。 だが父は公剛の軍勢と対峙すると、どう転んでも損だ、と早々に退却を決めたという。 お~~! 今日の楠木軍の活躍はめっちゃくちゃかっこいいですねえ! まさに気持ちいい!! という闘いぶりです。 逃げる、逃げる、という前回のラストからの引き続きの文体が効いてますね! 周囲の勝鬨が上がる、というのがいい! もう鳥肌立つ場面です。その勝鬨と共に、逃げていた楠木軍、いきなり引き返すんです! これ、騎馬戦ゆえのカッコよさ、気持ちよさがありますよ。 かっこいい、といえば、挿絵。 新しく今日出た宇都宮公剛さんだと思うのですが、この姿勢の良さ! こうでなければ精確に弓は使えないでしょう。 いやあ、それにしても馬すら姿勢がいい。っつか「映え」の姿勢。 何なの、このカッコよさ! で、楠木正成さんの、この「どう転んでも損だ」というのは、こんな勇猛で健気な人材を大軍を力にして叩いてしまったら、それこそ自分が悪者になる…… という意味でしょうかねえ。 戦はどう周囲を味方につけていくか、心理戦がかなりありそうですからねえ。どうなんやろ。 36 (要約) 父は湯浅たちに、城から落ちていけば命を奪わぬ、鎌倉と共に攻めて来る時は存分に戦おうと語り掛けたそうだ。 湯浅は己の命を差し出す代わりに、配下の命乞いをしようと思っていたので茫然としたが、配下で戦うことを誓った。 それから父は、金剛山に点在する城の補修を行う。 これらの城を前回の戦で用いなかったわけを聞くと、勝ち目がないので来たる時に備え、己の名を天下に轟かせるためのものと割り切っていたという。 今回は全ての手を使って、この時に賭けると決めていた。 特に補修に力を入れたの下赤坂城の南南東で金剛山に連なる桐山の上の桐山城。(上赤坂城) 二つ目は金剛山の西に連なる千早城。 山々の先端にあり、河内と大和を繋ぐ要衝にあり、四方が渓谷に囲まれる要害で、無名だったものが、がこの時から天下にその名を轟かせることになった。 父はこれらの増築を命じると、二百の兵を率いて河内平野へと進出した。 これも前年の戦から学んだ教訓だった。 頭を垂れているのは湯浅さんですかね。 尻切れトンボの文末です。明日を読まないと何やらわからんな。 37(要約) 前回は鎌倉軍を下赤坂に引き付けるのに失敗した。 そこで今回は護良親王よりも早く決起し、河内、和泉で暴れて天下の耳目を集めることにしたのだ。 正月五日、河内国甲斐荘をあっという間に駆逐し、九日後、赤坂の北北西に居を構える丹下氏、北西を治める池尻氏、さらに北西に荘園を持つ俣野氏その他諸々を何と一日で立て続けに破ったのである。 まさに神速。 「さらに翌日も和泉へ」 「和田の屋敷を嬉々として跳ね回っている貴方を覚えています」と母は今日は前のめりに喋る多聞丸の心のうちを探るように言ってみる。 「はい。あれほど心が躍ったこともないかもしれません」 約一年間、会えなかった父がすぐそこにいる、と思うとそれだけで嬉しかった。 父は和泉国を席捲し、御家人の当器左衛門尉、中田地頭、橘上地頭代を打ち破って気勢を上げた。 和泉国の御家人や地頭は立ち向かうために結集して八百余の軍勢を成し、堺の地で楠木軍を待ち構えた。 せめてこの二人の母子が何を探り合いながら話しているのか、もうちょっとヒントをくれて話を進めてくれないと、読み進むのに難儀だなあ。 ……と毎日言っている気がする。 38 すぐには攻めて来ないだろうと決め込んでいた楠木軍が突撃して来て連合軍はあっという間に瓦解した。 そこで六波羅探題が腰を上げた。 楠木軍が京にまで上ってくることを恐れ、直属の在京人侍、詰め所の武士、畿内五カ国の御家人にら動員をかけ、隅田次郎左衛門、高橋又四郎を軍奉行として摂津国四天王寺へと送る。 その数、約七千。 ――多聞丸、お主ならばどうする? と父に聞かれた。 楠木軍にも徐々に付き従う者が出始めていたが合わせて二千ほどの軍勢。まともに戦っては勝てるはずはない。 ーー私ならば退いて籠城に切り替える、と多聞丸は答えた。 だが父は攻撃を決めた。 一つは兵糧のためだ。長期戦を戦いい抜く覚悟を決めていたので、摂津守護の貯めこんでいる米を奪う必要があったのだ。 闘い方。それは実践を積んで体験するか、先達から学ぶしかない。 それにしても机上の駒を動かすのと違って、人心操作や運もあるでしょうし不確定要素は多数。 博打のようなものですよね。 いやはや、それにしてもほんとに日本人はよく闘ってきた民族ですよねえ。といって、ほとんどの庶民には巻き添えになることはあれ、闘いなどは関係ない話か。 などとお茶を濁す話をしてますが、特に言うことはない…(*^-^*) 39 二つ目はさらに鎌倉方を引き付けるため。 この後続いて護良親王が経つ手はずになっていた。そこに、兵を向ける余裕もないほどに軍勢を一手に引き付けたい。 前の戦いではそれが出来ずに陥落してしまった。 引き付けが成功させ各地が手薄になれば鎌倉に不満を持つ者は有利に戦える。 そのためには、今の戦果ではまだ足りぬ。 六波羅軍を破れば、鎌倉もいよいよ焦って天下の兵を河内に送り込む。 とはいえ、倍以上の敵に勝つのは容易ではない。 多聞丸が、勇敢だったのですねと言うと、父は――怖かったさ。 と、いう。 ――人は弱い。誰もが恐れを抱く。それでもやらねばならぬ時がある。 父はわずか三百の軍で六波羅軍と淀川を挟んで対峙した。 突撃してくる六波羅軍に遠矢を放ちつつ、楠木軍は逃げる。 六波羅軍は勢いを増して肉迫する。
by hitujitonekoto
| 2022-09-24 17:00
| 新聞小説を読む「人よ、花よ、」
|
Comments(34)
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まつの緑
at 2022-09-20 20:12
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千早城、四方を渓谷に囲まれ、まさに自然の要害、攻めにくそうです。
昨日の地図を見ても、山城なのですね。 作者が城のことを話す時「この城はかたい」という言い方をします。 「かたい」とは護りがかたい、なかなか落ちない、ということのようです。 この時代の城は、砦のような感じでしょうか。 赤坂城、千早城の跡地の写真があるサイトです。 https://shirobito.jp/article/739
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ブルーハート
at 2022-09-21 10:09
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踏み荒らされた草の上に倒れ込んで、
構えたカメラすれすれに「神速」の漢が跳ぶ!!! そんな躍動感に溢れた挿絵に朝から釘付け! ここにも「雲」。 瑞雲が飛んでゆく様を意匠にうつした、 縁起の良い雲「飛雲」でしようか? 快進撃を続ける「父」に相応しい吉祥の「飛雲」。 この父の先の運命を識っていても、 やはりカッコいい「父」。 皆様の素晴らしきコメントを日々拝読するに、 一番単純に読んでるのは何を隠そう(隠れてねえって) この私のようです。 作者が、子供の頃に心躍らせて数々の物語を読んだように、この連載小説が子供達を夢中にさせてくれたら良いなぁ…なんて考えてます。 ただし、このサロンに集う方々のような、贅沢な大人の読書をどこまで引き連れて行けるかはこの先の展開次第、ですかね。 と、つらつら考えながら今季一番の涼しい朝を楽しんでいます。コーヒーがうまいやね(^^)
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まつの緑
at 2022-09-21 10:55
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馬上の人は、風と一体化していますね。
自転車でも、ママチャリダーにはこの体勢は無理。 昨日のお城サイト(城びと)を読んで、 山城は、立地そのものが武器となる。敵が斜面や崖にはりついて登っている間に時間を稼ぐ。 攻めるのは人数が多ければ有利とも限らない。 守っている方は、戦況不利となれば、山中の知られていないルートを使い脱出、城を捨て、山中に潜み移動する。 山中が生活拠点である悪党。 山中で荒業のため移動ルートを持つ密教の修行僧軍団。 後醍醐天皇は彼らと結び(利用し)、倒幕を図った。南朝方は、山中にある寺を城にリフォーム。コスパよし。 で、サイトでは2022城総選挙をやっておりました。 私が好きな城は、 ジャジャーン、松本城。 そして、彦根城。 現存する天守閣の素晴らしさは勿論のこと、町の風情も含めて好きです。
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hitujitonekoto at 2022-09-21 16:48
まつの緑さん
いや、これすごいサイトですねえ! これを読んだらお城のプロになれますねえってくらい情報満載。 満載すぎて目がくらみました。 千田先生や小和田先生も何やら書いてますし。 そしてこの理文先生のお城がっこうがまたすごくわかりやすい! 「小中学生のため」と銘打ってますが、羊、これで十分です。こんな風に書いてくれたら面白く歴史学べるのに。 といって、深入りしていたら明日になってしまうので、泣く泣くサイトを閉じました。 まつの緑さん、いつもありがとうございます! ほんとに多方面から「人よ、花よ、」を攻めてくれます(^^)
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hitujitonekoto at 2022-09-21 16:52
ブルーハートさん
早くも心躍らせながら作品を楽しんでらっしゃるようで、とても心強いです。羊、ついていくけん、よろしくご指導たのみまっせ! >つらつら考えながら今季一番の涼しい朝を楽しんでいます。コーヒーがうまいやね(^^) わかる~。ってコーヒーがうまかったんですよ、羊も。そうか、それはこの気候のせいでしたか! なるほどねえ。台風が過ぎたらぐっと急に涼しくなって、やっと長袖が着られるようになりました! 庭に出るのに武装してたので、少し武装解除ができてうれしい羊です。(闘う相手は、はい、蚊ちゃんです)
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hitujitonekoto at 2022-09-21 17:01
まつの緑さん
>松本城。 そして、彦根城 いやあ、かっこいい! ってお城を知らない羊にはまつの緑さんがかっこいいのです! 羊が気にいってしまったのは近くの犬山城で(ってここくらいしか行ったことないや)、何年か前に父母と行き、90歳に近かった父もものすごく頑張って天守閣まで登ってその小さなお城から絶景を眺めた気持ちよさは忘れられません。 ほんっとにコンパクトですが素敵なお城です。…ここしか知らないのに何を言うか! 幼少期は甲府に住んでいて、「お城に行く」というと甲府城。=舞鶴城といいましたね。 城跡なのに…。城もないのに山梨県民はよく行くんですよ、ここに。石垣があって、ここに登るんですね。ほんと…何しに行くんだろ……一家の娯楽ですね。何だか可笑しいけれど懐かしい。
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ヤシマ
at 2022-09-21 20:23
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まつの緑さんのイチオシは松本城ですか。
高校出るまでは中津川にいたので、松本城にはバイクで二度ほど行きました。 平地にポツンと建っているのでいわゆる「山城」とは全く趣が違います。 戦いには巻き込まれてないのでは? 黒壁の上に白いラインがアクセントになって「カッコいい!」 ところで、いつも挿絵は楽しんでいますが(36)にはちょっと?? 低頭している湯浅氏の体、ちょっと小さすぎません? それから片膝ついている様に見えるけど「何かオカシイ」 明らかにバランスが変。それとも膝じゃない? 昨日から気になってしかたありません・・・・・
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まつの緑
at 2022-09-22 00:56
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31回(9月15日)、
>まだ、早い。今宵(こよい)は多聞丸の想(おも)いを吐露するところまで行きつかねばならぬ。このままだと母は席を立ってしまうだろう というわけで、多聞丸はまだ自分の想いが言えない。 でもねぇ、いつまでこの状態が続くのでしょう。夜が明けるわ。 私の「推し城」は、 1.松本城 2.彦根城 3.弘前城 私のぶっちぎり1位は、松本城です。 3城とも現存天守、江戸時代までに建てられ現在まで残っている天守です。 松本城と彦根城は、登ったことがあります。 弘前城は長期の修復工事中で天守には入れませんでした。 犬山城は行く予定だったのが、ちょっとした手違いで行けず、リベンジしようとしたらコロナで休城に。 小学生の頃、犬山のモンキーセンターに行ったことがあります。 その時犬山城にも寄ったかもしれないのですが思い出せません。歴史好きの父が猿だけ見て帰るとは思えないので。 明治の廃城令、戦災も乗り越えて、残った現存天守12城は応援したいです。
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鮎子(AT)
at 2022-09-22 11:48
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果報は寝ないで待て?
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ラビットバイク
at 2022-09-22 17:48
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私もお城大好きです。
松本城は、結婚して初めて住んだ都市が松本市だったので、思い入れも強いです。 10月中旬の日曜日に、古式砲術演武というのがあり、そのときは妹が来ていたのでたまたまお城に行ったら、砲術演武の日でした。 イベントが始まる前に武者装束のおじさん(おじいさん?)が一緒に写真を撮ってくれたんですが「どうせならもっと若いお兄ちゃん」という思いがフツフツ。 実際に砲術が始まると、そのおじさんが鉄砲撃ってて、妹と「さっきのおっちゃんや!おっちゃん意外とやるやん。」とおっちゃんを応援してました。 思いがけず見た砲術演武がとても良かったです。 その後青森市に住んで、弘前城も見たし、青森の後に四国に住んだので、松山城・丸亀成・高知城・宇和島城など現存天守を立て続けに見ました。 姫路城は、学生時代の友人が姫路出身で家に泊めて貰ったことがあり、そのときに見ました。 やっぱり姫路城、美しいです。 松山城はロープウエーで登る山城で、眺めも良いですね。 現存12天守は、丸岡城以外はすべて登ってます。 福井は何度も行ってるんですが、丸岡城は行ったことなかったです。 芦原温泉に泊まって福井市にも行ってるんですけど、丸岡城に関して、無知だったのでもったいない。
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hitujitonekoto at 2022-09-22 18:23
羊です!
すごいわあ、みなさん! お城の話になればなったで、こぞってお城好きじゃないですか! すごい集団だわあ。 中でもラビットバイクさんにはびっくり! 現存12天守の11まで登ってらっしゃると! いやあ、すごすぎ。何がって羊は「現存12天守」なる言葉、初めて聞いたんですよ。 弘前城 【青森県】 国宝松本城 【長野県】 丸岡城 【福井県】 国宝犬山城 【愛知県】 特別史跡 彦根城跡 【滋賀県】 姫路城 【兵庫県】 松江城 【島根県】 備中松山城 【岡山県】 丸亀城 【香川県】 松山城 【愛媛県】 宇和島城 【愛媛県】 高知城 【高知県】 ふ~~~~む、かっこいい! 犬山城登ったから、最初のステップは踏み出した。 次の目標は姫路城!
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まつの緑
at 2022-09-23 01:04
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定年後のおじさん達、城巡りが好きですねぇ。
我が家にもおります。 12天守は制覇しているらしい。 盛岡に行ったら、明治の廃城令で城を壊したそうで、城跡は公園になり濠は残っていました。 犬山城や松本城は、個人や有志が買取り、城を守ったと聞きました。 ラビットバイクさんも松本が好きでしたか。 松本にある市民芸術館の館長兼監督は、串田和美さん。芸術館では、串田さんが勘三郎と始めたコクーン歌舞伎の公演もあります。 小澤征爾のサイトウキネンフェスティバルもあり、文化度が高い町だと思います。 演劇人、音楽家が集まれば、彼らが飲む場も需要があり、松本はバーの町と言われるくらいになっています。 あ、キレイなお姉さんがいる系じゃなくて、バーテンダーがカクテルを出すバーね。 7,8年ほど前、勘九郎や七之助が人力車で松本城まで行く登城行列がありました。 その時、泊まっていたホテルのロビーにいたら、役者さんや関係者がやってきました。ホテル前が登城スタート地点なので、ロビーが待機場所だったようです。 そんな楽しい思い出もありました。
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まつの緑
at 2022-09-23 01:18
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ラビットバイクさん
松本城の砲術演舞って、広場みたいなところでやったのかしら? 城の前で砲術なんて見ちゃうと気分が上がるでしょう? 分かります。場所の雰囲気もあるから。 おじいちゃんでも魔法がかかって見えるかも。 広いスペースなら、たぶん登城行列(お練り)のお城到着後のイベントも同じ場所だと思います。
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鮎子(AT)
at 2022-09-23 08:24
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松本城、私もだいぶ前ですが行ったことがあります。
ちょうど松本ぼんぼん祭りのときで、「♪ぼんぼん松本ぼんぼんぼん」という節がお城の姿とともにずっと頭に残っています。 犬山城、姫路城も行きました。 九州も天守は残っているお城はありませんが、大きなお城の跡は今でも大事にされているのがよくわかりました。 でも、関東はお城らしいお城がない!(皇居は旧江戸城といえばそうですが。) 以前気になって調べたら、戦国末期、関東は広く(後)北条氏に支配されていて、豊臣秀吉による小田原征伐の後は徳川家康が江戸に移ってきて、その他大名として残っていたのは結城氏と佐竹氏くらい。 結城氏は跡継ぎがいなくて、徳川家康の次男秀康を婿養子に迎え、のちに秀康が福井に移り、一時12天守の一つ丸岡城は福井藩の支城だった時期があるそうです(その後、丸岡藩として独立) 佐竹氏は小田原征伐に秀吉側に加わり、水戸54万石の大大名になりますが、関ヶ原の戦いは中立の立場をとりました。家康は江戸を離れてからこの佐竹氏の動向がひどく気にかかるようになり、戦後出羽へ国替えを命じました。 というわけで、関東には江戸城以外大きな城はなくなったとのこと。 残念です。 『人よ、花よ、』の方は、幕府軍との戦いの描写、正成の鮮やかな戦術、父と子の回想、意外性があまりないので単調に感じられるようになってしまいます。
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ブルーハート
at 2022-09-23 09:56
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薄水色の川面に白き水煙
揺れる「朱赤」は 馬達の胸繋、面繋、尻繋。 そして父(達)は逃げる逃げる…。 勇猛果敢にして恐れをしる、自らの存在よりも大きな脅威を常に畏れる。 「勝つ」こと、「生き延びる」ことの為に使うのは先ずは「頭」そして「心」。 「父」カッコいい。 って、そればっかじゃん! よし、BGMは「真心ブラザース」だ! ♪美しく思い込め 己の過去生き様を 今の自分を褒めろ褒めろ褒めろ〜 嫌な奴らから逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ〜 訳わかんねぇ、ごめんなすってーm(_ _)m
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ブルーハート
at 2022-09-23 10:43
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そうそう、ヤシマ様。
件の挿絵ですが、仰る通りなんか??な感じです。 右脚を折っているのは短袴(?)のスリット(?)が三角形に見えているので確か。 後の黒は足元?肌色は何?このアングルで立膝をしたら左脚の存在も何処かに見えるはず…などなど疑問有りです! 大きさに関しては、馬上の正成(の脚)と比べるとそこまで小さくはないかな、と思いますが、馬が大きすぎるせいですかね?バランスが悪いのは。 さすがヤシマ事務所の「目」の鋭さ! そんでもって「城」! 私にとっての「城」は南国土佐の「高知城」が一等賞! 昔は訪れる度に土佐犬と記念撮影して、「アイスクリン」ば食べちゅうたぜよ。 で、鮎子様。 「渋谷城」なるものも存在していたらしいです。 今は金王八幡宮がその城跡となっています。 現存するのは石垣一個だけ…我が故郷の城はトホホだぜよ。
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ラビットバイク
at 2022-09-23 16:34
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松本城の古式演武は、お城の前の広場でやってましたね。
写真一緒に撮ってくれたおじいちゃんも、コスプレだけだといまいちな感じだったのに、イザ銃を構えると緊張感がみなぎりマジックで格好良く見えましたね。 松本は、草間彌生さんの出身地でもあるし、文化度は高いですね。 関東に大きなお城がないのは、やっぱり徳川家が近くにライバルの有力大名を置きたくなくて、外様は九州や四国など遠方に追いやったのもあるかも。 その名残で、四国は現存天守が多いのかもですね。 現存天守ではないけど、関東で大きなお城と言えば、小田原城ぐらいですかね。 楠木母子の、「パパ大好き」はもう良いよって感じですね。1ヶ月近くもうダラダラとやられたら、飽きたよ。 連載小説って、最初の1ヶ月で読者の心をつかむのが重要だけど、これだけ長く正成礼賛をやられたらお腹いっぱい。
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ラビットバイク
at 2022-09-23 17:00
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実は私は関東ではなかったので、皇居=江戸城って、実は最近になるまで知らなかったんです(^_^;)
そういえば、江戸城城址公園みたいなものってないなあ。。。と、昔の江戸城って、どこにあったんだろう?って気になって調べたら皇居って江戸城だったんだと、これは驚きでした。。。 夫に言ったら、そんなの常識と言われたのですけど、小学校ぐらいで、「皇居って江戸城だったんだよ」って言われたことなかったんで、両者は別物という思い込みがありました。 皇居って、テレビでの一般参賀でしか見たことなくて、テレビでみる皇居ってお城とは別物だったんで。。。
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まつの緑
at 2022-09-23 23:14
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祖父母は、皇居のことを「きゅうじょう」と言っていました。
宮城、「みやぎ」じゃなくて「きゅうじょう」です。 昭和30年代だったと思うのですが、自治会か老人会が募集した宮城の清掃奉仕があり、祖母が参加したことがありました。 お礼に、菊の焼印がある饅頭か、菊の形の最中か、和菓子を持ち帰ったようでした。 城びとサイトに、26日に最強の城選手権の番組情報がありました。 難攻不落な城を選ぶのだそうです。 翔吾先生がよく言う「堅い城」=堅城を選ぶらしい。 予測では、大分県の岡城。 マニアック過ぎて知らないのですが、、、 岩盤が花崗岩、2つの川が天然の濠。島津軍でも落とせなかった城だとか。
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ラビットバイク
at 2022-09-24 14:49
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まつの綠さんのご実家は皇居のお近くなのですね。
皇居を身近に感じられると違いますよね。 私は皇居って距離的なだけじゃなく、気持ち的に遠い存在で、全く身近に感じられなかったです。 逆に私は関西だったので、京都や御所など近くて、古典文学や歴史などで身近に感じられてました。 源氏物語なども、宇治とか明石・須磨などの地名が近くなので。 大分県の岡城址、行きました。 竹田にあり、石垣が残ってるぐらいなんですが、滝廉太郎の荒城の月の舞台で、曲のもの悲しい感じと、ここにお城があって、月が出てたら、そういうイメージになるのかなと。 「昔の光いまいずこ」って感じでした。 多分昔は、もっと栄えていたお城なのかなあと。 翔吾先生はお城好きみたいですね。 塞王の楯も、お城の石垣を作る職人が主人公なのですが、石垣とかお好きみたいですね。
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鮎子(AT)
at 2022-09-24 17:03
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青さま
『渋谷城』ですか。 実家が井の頭線の沿線なので渋谷はなじみのある場所と言いたいのですが、昔『渋谷城』があったことも知らなかったし、宮下パークも人から聞いただけで行っていないので、もう言えません。 12天守のお城はみな立派なお城ですが、最近この小説に出てくる”城”は、渋谷城に近いものなのかもしれませんね。 そういえば、水戸城を忘れていました。 水戸徳川家のお城です。 ここは古いスタイルで石垣がなく土塁で、土造りなのが特徴と言われているそうです。 ただ、水戸徳川家の当主は参勤交代を行わない江戸定府大名であり、藩主が住まないため建物は質素なもので、第二次世界大戦の戦災で焼失し、再建されず。 城跡近くにある、徳川斉昭(慶喜の父)がつくらせた偕楽園は有名ですが。
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hitujitonekoto at 2022-09-24 17:14
まつの緑さん
松本の話 うっとりと読みました。 文化の街。素敵です。 >難攻不落な城を選ぶ ふ~む、これはけっこう難しいのでしょうねえ。「英雄たちの選択」という番組みていても、城郭研究家の先生がしょっちゅういろんなお城をほめたたえているので、覚えきれません(それで覚えられないんじゃないだろ?) 加えてファンがいるし、地元民の熱い愛があるし、それを押して最強を選ぶ……面白そうですね^m^
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hitujitonekoto at 2022-09-24 17:21
鮎子(AT)さん
>「♪ぼんぼん松本ぼんぼんぼん」 真面目な鮎子女史がこの節で頭をいっぱいにしているってもう~~~その意外性にやられて大いに笑ってしまいました! 松本城、犬山城、姫路城… 鮎子さんの行ったところの後を追おうかな。 次は姫路城にしようかと思ったけど、より近場な松本城に行こう! 松本、良さげな街らしいですもんね。 ところで行ったら天守にはどのお城でも(日本中)登れるんでしょうかね?
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hitujitonekoto at 2022-09-24 17:34
ブルーハートさん
一等賞だという高知城、さすがに土佐まではなかなか行かれないので、画像だけでも、と見てきました。 ああ、いい気がする。何だかスッキリしてる気がする……ってほんとかなあ。 青さんがいいというのだからいのだろうなあ! という心の贔屓目を抜きにすると、羊にはまだ城の良し悪しなんか全然語れないやあ。 (^^; でも、本丸全体が現存する唯一の城! だというので、何かある前にこれは見ておいた方がいいなあ、という気もしてきました。 何かある……って火事とか地震とか……と思いつつ、自身の身に何かある方がずっと確率が高だろう! と気がついて慌てる。
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hitujitonekoto at 2022-09-24 17:44
ラビットバイクさん
お! 岡城行かれたんですねえ! え? 石垣しかないんだ…… 荒城の月ですか……なるほど。 そういえば、向田邦子さんのエッセイ集の「眠る杯」は 「巡る盃」と歌う荒城の月の 聞き間違いではなかったですかね。 何番かに 栄枯は移る 世の姿 ♪ という歌詞があるんですが、昔母がそこを歌う時は、クラスのみんなが自分を見るので嫌だった、と言ってたのを思い出します。(母の名は栄子)
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ヤシマ
at 2022-09-24 21:32
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しかし、この調子で行くとあと一ヶ月ぐらいは本章が続くのかな?
六波羅をやっつけたら例の千早城で父挙兵。その後後醍醐帝は壱岐を脱出。 そして高氏が味方して六波羅を攻略。後醍醐帝は建武の新政を起こす・・・ そのあとイロイロあって尊氏は九州に逃げ、またイロイロあって再上洛。 ここで父正成が死ぬわけです。今日のところから数えてざっと五年。 後醍醐帝が崩御するのはそこから更に四年後。 うーん、一ヶ月では足らんか・・・ ブルーハートさん。ご賛同有難うございました。 でもそれ以降は素晴らしいです。特に昨日(39)の、川を渡る馬の群れの躍動感は絶品!
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ラビットバイク
at 2022-09-24 21:57
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>ところで行ったら天守にはどのお城でも(日本中)登れるんでしょうかね?
新潟県の新発田城は、自衛隊の敷地内にあるので、通常は立ち入り禁止なんです。事前に申請して許可とれば入場可能みたいです。自衛隊のセキュリティーの問題みたいです。 新潟に引っ越してすぐぐらいのときに、両親が来て、父がお城好きなので、新発田城に行ったのですが、自衛隊敷地内につき立ち入り禁止だったので「なーんやそれ!?」でした。 一部だけ入れるところもあったのですけど。 淡路島の洲本城は老朽化してるため登れないです。 お城といっても、模擬天守ですが。 四国に住んでた頃行きました。 京都の伏見桃山城も、キャッスルランドという遊園地があって、こちらも模擬天守だったのですが、遊園地閉鎖と耐震不足により登れないです。 こちらは子供の頃に遊園地目的で行ってます。
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まつの緑
at 2022-09-24 22:02
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ラビットバイクさん
祖母は皇居近くに住んでいたわけではないのですが、明治生まれにとって皇室は今よりは近い存在だったのだと思います。 私の子供時代には「皇室アルバム」なんて番組もありました。皇族ニュース的な番組でした。 調べたら皇居と呼ぶようになったのは昭和23年からだそうです。 それまでは宮城(きゅうじょう)だったから、明治生まれには宮城が言い慣れていますよね。 清掃奉仕は、老人会か町内会で募集があったみたい。特別な組織の会員ではなく、一般から募っていて、祖母は好奇心がある人だったから申し込んだようでした。 大分の岡城址、山城だからアクセス大変ではないですか? ところで、渋谷城、現在は金王八幡宮。 あれれ、渋谷3丁目ですと? うちの学校は4丁目だからぁ、、 あ、首都高の向こう側ですか? 渋谷区東に住んでいた後輩がいて、遊びに行ったことがあります。そのあたりでしょう? 神社が幾つかあって、渋谷駅から近いのに樹木が多かったと思います。 最近、全く行ってないのですが、再開発されていないでしょうか。 昔と変わりないのなら、渋谷といってもテレビでよく見るハチ公前スクランブル交差点とかセンター街とは、全く違う雰囲気の場所です。 城(といっても館みたいなもの?)があったのは、坂が多かったからでしょうかねぇ。 そういえば、青山墓地あたりまで体育会の学生が走っていたのは、坂がランニングに適していたのかなあ?
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ラビットバイク
at 2022-09-24 23:35
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まつの綠さん
皇居のお近くという訳ではなかったのですね。 「一般から募る」でも、やはり皇居は特別な存在なので、参加したい方も多かったのでしょうね。 岡城址には、駐車場に車を駐めて、そこからは徒歩で石段や山道を上っていく感じでした。 四国に住んでた頃で、愛媛からフェリーで大分まで渡ってマイカーで行きました。 15年ほど前でした。 香川の金比羅さん(金刀比羅宮)や、徳島の剣山などに登ってた頃だったので、元気もありました。 旅行の時は車にトレッキングシューズ積んでますから。 新潟の春日山城址も山城で、こちらは山を登っていく感じで、完全にハイキング。 春日山城址は石垣とかもなく、ほんとただの山という感じでした。 そういえば、インドのジャイプールにあるアンベール城も城塞で、徒歩で登りました。 象のタクシーという象に乗って登る方法もあるみたいでした。 山に城を作るの日本だけじゃないですね。
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まつの緑
at 2022-09-25 00:30
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先ほど気付きました。
松本幸四郎が年1回渋谷でやっている「渋谷金王丸伝説」 金王八幡宮に縁の金王丸だったんだわ、多分。 幸四郎さんは何をやっているんだろうかと思っていたのですが、これで繋がりました。 ラビットバイクさん、 日本100名城、かなり制覇しているのでは?
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ラビットバイク
at 2022-09-25 12:44
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まつの綠さん
日本百名城。。。チェックしたら、行ったことあるのは43名城でした。 四国・東北・北海道は結構行ってるんですが、九州・北関東・沖縄などは知らないお城がありました。 長崎とか、観光地多い場所は、お城以外の所に行くので、有名なお城じゃないと行かなかったり・・・ 今まで特に百名城を意識して行ってなくて、自分が興味あるところとか、同行者の興味などで行ってたり・・なので。 あと、天守がないところなども百名城なんだとビックリです。 川越城・徳島城・岡城・春日山城はお城自体はないのに百名城?
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hitujitonekoto at 2022-09-25 12:53
ヤシマさん
そろそろ「私の備忘録」内で、当小説のまとめがありますかね?! ほとんど母と子の会話の中で進むお話で、時々母と子の部屋に戻ってきちゃったりしますから、かなりまとめずらいですが、まあヤシマさんならお茶の子さいさいだと思います。 早く読みたいよ~。 >この調子で行くとあと一ヶ月ぐらいは本章が続くのかな? >うーん、一ヶ月では足らんか・・・ 何でこんな形式をとったんでしょうねえ。きっとやってみたい何かがあるんですよね。 それがもっと読まないとわからない。 何となく作者のそういう意図や伏線の回収がまだスッキリとしていなくて、モヤモヤするところはありますねえ。 あとは人物の魅力がまだ充分出せてない、と思うのですが、これからに期待しております。
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hitujitonekoto at 2022-09-25 13:10
ラビットバイクさん
羊のアホな質問にきちんと答えていただいてありがとうございます! すごいですねえ、さすが城好きなお父さんを持った少女だと、こんなに体験している。 全て実体験で、入れなかった天守を答えてらっしゃるって凄すぎ。 新発田城 洲本城 伏見桃山城 そう。老朽化とか保全目的で登れない城があるだろうなあ、とはボンヤリ予想してたんですが、やはりそうですよね。 耐震不足、というのもなるほどです。 で、自衛隊敷地内で立ち入り禁止で思い出しましたが、羊の今住んでいる家は、かつて自衛隊の敷地内に建てたおうちです。 以前は自衛隊が飼っていたシェパードの小屋も近寄れたし、広い空き地はドッグランのように放し飼いで犬を走らせたし、お散歩コースで利用できたのですが、村の長老が亡くなったら途端に自衛隊は地域住民から門戸を閉鎖して今は門番もいて一歩も近寄れません。 家を建てたのは、少しずつ自衛隊が敷地を手放していたころ。 建築許可をもらいに自衛隊の事務所に入ったっけなあ。お茶入れてもらったわ。 そうそう。ちょっと前までグーグルの航空写真のマップが羊の家の近所までずっとモヤがかかって表示されませんでした。いつの間にか霧が晴れてましたが、何か隠してるものを移動した?^m^
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hitujitonekoto at 2022-09-25 13:23
まつの緑さん
「皇室アルバム」今でもやってますよ! 羊は時々見てます、あは。 今も変わらず、あのなんとも言えないタラタラした音楽と共に始まって、同じようなテンポで表側だけ見せるやり口で無難に皇族たちの活動を紹介しています。 昨日たまたまとある方の動画で、葬儀後にイギリスでホテルを去る天皇皇后の様子を見たら、まあ、雅子さんが生き生きと天皇に指事を出し、終始天皇をリードしながらホテルの方に握手して挨拶して、沿道でスマホを向ける人たちにキビキビと手を振って、サッと車に乗り込む一部始終が見えて……、さすが元キャリアウーマン、という感じでびっくりしました。 まさに裏を見た。ああ、こういうの見たいのになあって(見たいのかい!? はい)
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