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作 池澤夏樹 画 影山徹 連載452話 終戦/敗戦 10(要約羊) 皆の重い沈黙の中、わたしは言った。 その訓令に逆らおうと思う。 昭和12年、天皇陛下が築地の水路部に行幸したことがある。 一度は艦をあずかってみたい、というわたしの望みに対して陛下は相模湾の海図を持ってこさせてそれを広げた。 「この正月、相模湾で海生生物の採集をした。熟知している海ではあるが、船を出すたびに海図に航路を書き込む」 この部分は、わたしたちは知っていますね。 天皇陛下が実に良いことを言う場面ですよ。 軍としての仕事をしたい、という利雄に対して陛下が、実際自分も海図を研究のために使っている。水路部の仕事は軍事ばかりじゃなく、平時に役立つ仕事なのだから、是非みんなで頑張ってもらいたい、というようなことを利雄に言って感激させる場面です。 なので、その陛下の言葉を大切に、利雄は業務を完遂させたい、ということをみなに言う場面なんでしょう。 第20話~22話にはこうありました。 20話 「秋吉、なにか望みはあるか?」と陛下が言われた。 わたしはそう問われて頭の中が真っ白になった。 本気で考えてしまった。 傍らには同僚たちが控えている。 「はっ。海軍軍人である以上、せめて一度は艦を預かってみたいと思っております」 気がついたらわたしはそう発語していた。 何がわたしにあんなことを言わせたのだろう? 一瞬だけわたしの中の武人が天文学者を凌駕したのか。 同僚たちの動揺が伝わった。 ここでそんなことを言ってもいいのか。それならば自分にも言いたいことはあったのに。 陛下はまたしばらく黙しておられた。 わたしは自分の言ったことを撤回したいと思った。身の竦む思いだった。 「私は水路部の業務が好きだ」とやがて陛下は仰せられた。 「誰か、海図を取ってきてくれないか。6363、相模湾」 若い随身の一人と三課の者が廊下を走って行った。 五分ほどしてその海図が届くまで、陛下は何も言われず坐っておられた。 室内の全員が沈黙して待つ。 海図が来た。陛下は部屋の隅にあった卓のところへ歩まれ、そこにあった花瓶を他へ移すよう手で指示された。 そこに海図を広げる。 「今年の正月を私は葉山の用邸で過ごした。そして毎日油壺の港から船を出して海生生物の採集に勤しんだ。冬の海上の寒さも厭うことではなかった。その時に私の手元に常にあったのは何か?」 決められたことではなく、敢えてその場で選んだご自分の言葉を話しておられる口調だった。 「この相模湾の海図だ。あの湾の海底地形はすべて頭に入っている。それでも海に出るごとに航路を書き込む。今回はもっぱら南甘鯛場に行ったが、この名は海図にはない。あれは漁師たちの俗称で、海図ではここ、鎌倉海脚のあたりだ」 みなみな陛下のお言葉を拝聴した。 21話 「水路部の業務ぜんたいについて述べておきたい」と陛下は顔を上げて、わたしたちを見回して言われる。 「これは世の役に立つ大事な仕事だ。みな知っていると思うが、私にとって生物学の研究はただの趣味ではない。天皇としての責務とは別に、私人としてこの分野で何か業績を残したいと念じている」 わたしは陛下の胸のあたりを見て拝聴した。 「水路部は海軍に属する」と陛下が言われた。 「しかしここは海軍水路部ではなく、ただ水路部である。なぜならば海図を使うのは軍艦ばかりではないからだ。民間の船もみな日々の航海を海図に頼っている。あるいは航海暦を用いている。無論、戦時のための用意ということはある。しかしながらその日が来ないことが海軍にとっても望ましい。日常の艦の運用の役に立ち、国内のみならず内南洋の島々など遠方の港に艦が赴いた時に安全に入港するために、海図の周到な準備は必須である。ローソップ島がいい例だな、秋吉?」 「はい。よい海図がありました」 あの島を取り囲む環礁に近づく時、わたしは海防艦「春日」のブリッジにいた。艦長は海図を前に、手には双眼鏡を持って号令を下していた。その光景をわたしはくっきりと思い出した。 トラック島を海軍の基地にする動きは一九三六年のワシントン条約失効を機に始まったが、しかし海図作りはずっと前から進められていた。 「だからさ」と陛下は急に口調を崩して言われた、「秋吉はじめ水路部の面々はみな戦時ばかりでなく、むしろ平時のために必須のお国の部材なのだよ。それぞれの職責において優秀なのであるからして、逸ることなく陸地にあって、また海上にあって、力を発揮してもらいたい」 わたしは頭を下げてお言葉を聞き、ほとんど涙を催した。 「以上、朕惟うころである。秋吉、元気でな」 陛下は退場された。 ふっと部屋の緊張がほどけた。 「よいお言葉を賜ったな」と部長が言った。「水路部ぜんたいに伝わるようにしよう。全員の励みになるだろう」 22 後になって、感激と興奮から覚めてゆっくり考えたのは、陛下のご人格の中における科学と合理ということだった。あの方は科学者であられる。科学は恣意を許さない。惑星も恒星もその位置を人為で動かすことはできない。質量保存の法則は絶対であり、石油の備蓄や鉄鋼の生産量は精神力でどうにもなるものではない 陛下はそれをよく承知しておられたのだろう。 その一方、人の心は合理を超える。 一億の民の思いがうねりとなって国を揺り動かし、それを利用して思いを遂げようとする輩が政治を動かす。更に時の運ということもある。 真珠湾の勝利の時、本当のところどれだけの勝算があったのか。山本五十六さんの危惧を共有する者がどれだけいたか? 今ならばそう問うことができる。しかし我々はあの時にこそそれを問わなければならなかったのだ。 水路部の仕事は戦時だけでなく平時にも役に立つ。 そう陛下は仰せられた。 海図というものは平時に準備しておく。一定の海域でひたすら測深を重ねて、測量船の位置を陸標や天測で定めて、すべて書き込んで原図を作る。それを整備して版を起こし、印刷に回す。 しかし作業はそこでは終わらない。その後の海況の変化はすべて手で書き込まれる。常に最新の情報を盛った図が艦船に提供される。 そういう海図が何百点と用意してある。 海図は三課の管轄だからわたしは時おり話を聞くだけだったが、開戦後、ある時期になると軍港や南洋の環礁内に沈船を書き込むことが多くなった。船体の一部でも海面から出ていればいいが、そうでないと沈船は暗礁になる。 次から次へと海戦に負けて、国民の血税で造った艦を一隻また一隻と失って、その位置を海図に書き込む。担当者の無念は思うに余りある。 そこが敵の海域になってしまったら、もう何もすることはない。その海図の整備は向こうの仕事である。 *明日から新しい記事になります 439話 東京から笠岡へ 27(要約羊) 笠岡に赴任してしばらく。帯広の武彦から電報が届いた。 7月7日に男子誕生。母子ともに元気。夏樹と命名。 命名の理由は3つ。 夏に生まれた 親友の中村真一郎の詩で「夏野の樹」があること。 新の子の妻の名が夏野であること。 武彦と澄は詩人なのだと感じた。 作者誕生。 利発そうで実に可愛いらしい現代的な赤ちゃんの写真。誰だろうと思ったら作者でした。( ̄m ̄〃) 利雄が苦笑いしてますが、初めての子の誕生、となると誰しも俄か詩人になるような気がしますが、まあ、澄さんは本物の詩人ですし、武彦も詩を書く人ですから、間違いないですね。 親友の中村真一郎、というのはとても有名な文学者ですが福永武彦と共に映画の「モスラ」の原作を手掛けたようですね。 440話 東京から笠岡へ 28(要約羊) 武彦からの手紙には妻の澄が書いた詩が同封されていた。 「なつきへ」と題されたそれは我が子への祝福の詩だが、行の終わりの母音をそろえることで韻を踏んでいるとヨ子が教えてくれた。 わたしはスティーブンソンの英詩を思い出した。 その詩も韻を踏んで、たんたか・たんたか・たんたか・たん、とリズムを刻んでいる。 韻を踏む英語詩はコメント欄でず~っと前にまつの緑氏から教えていただきました。 澄さんの詩は本当に弾むような明るい詩で、ほぼ3音ずつの単語で構成された優しい韻律ですね。 作者の母が作者への愛で作った詩、ということで何だか読むのはくすぐったいのですがね。^m^ 今日のところは戦争などどこ吹く風の明るい回で、ちょっと余談でムードを変えて、という感じですかね。 それにしてもヨ子さんは韻を踏んでいることを「武彦さんに聞きました」と言ってますが いつ、どこで聞いたんでしょうねえ。電話でもしたんでしょうか? それとも「詩は韻を踏んで作る」というようなことを過去に教えてもらったという意味なんでしょうか? 441話 東京から笠岡へ 29(要約羊) 北海道では、室蘭などの港町が被害がひどく、帯広でも空襲があったという。 生後1週間の夏樹を抱いて防空壕に入ったが街中に充満する煙の臭いは恐怖の臭い 僕たちの近所で8か月の赤ん坊が犠牲になった。まかりまちがえば夏樹だったのかもしれない。 戦争に終わりはあるのか。 僕は幸福だけれども、将来の不安はさまざまある。 この先どうやって妻と子供を養ってゆくのか。 いろいろな所で働いてみたが、戦争のせいで先が見えない 昨日の妻が書いた詩のためのメモ。 なつきよ うけよ 天の 地の幸を 442話 東京から笠岡へ 30(要約羊) 「 ヒロシマニシンガタバクダン」シナイハゼンメツノモヤウ」カクジケイカイセヨ」カイグンシヤウ 原子爆弾に違いない。 わたしは物理学を修めてきたので原理がわかる。警戒のしようがない。防空壕などで対処できる脅威ではないのだ。 そのエネルギーの大きさからして、輻射熱、破壊的な風圧、建物の崩壊と炎上は想像以上だろう。放射線のこともある。 マダム・キュリーの苦痛の死を招いた放射線が広島の人々の身体を貫いたのだ。 うわあ。物理学者の推察する原子爆弾の恐怖は、科学的に考えて、免れないわかりきった脅威だったのだ。 そう思い知ると、やはり弁解の許されない、人類が使ってはいけない爆弾であることは明白でしょう。 どこかで概念としての原爆と化しているので、「あれは仕方がなかった」というような腑抜けた議論になってくるのでしょう。 科学者の使命は、その明白な残虐性を白日のもとに示すことにあるのかもしれません。 《1945年3月10日の東京大空襲で、わたしの所属する築地の水路部も被災した。かねて準備していた通り、岡山の笠岡に分室を設け、家族と共に疎開した。海に面した地の生活が落ち着いた頃、甥(おい)の武彦から男児誕生との電報が届いた。》 443話 終戦/敗戦 1(要約羊) 八月八日の夜、すぐ近くの福山が空襲に遭った。古城山公園に登ってみる。 福山までは距離にしてわずか十キロほどなので炎上しているのが見える。次から次へと飛来するB―29の爆音まで聞こえる。 破壊力の火が無数に空から降ってくるのだ。 やめてくれ、と叫んでも彼らは作戦指令所通りに実行しているだけ。地上に人間がいるなどと考えず、任務を終えて眠りたいだけだ。 予兆のビラを見た。それにはB-29の周囲に具体的な都市名があった。爆撃予告だ。 444話 終戦/敗戦 2(要約羊) 執務中に部下が本省からの文書を持ってきた。 ナガサキニシンガタバクダン」シナイハゼンメツノモヤウ」カイグンシヤウ 息ができなくなる。わたしとヨ子の町が全滅! わたしを育て、わたしの見た景色が、人間が、一瞬で消滅した! 帰ってヨ子に告げると、ヨ子は玄関にへたりこんだ。 「おそらくもう、…もない」とわたしは町にあったものを次々に唱えた。 自分の心に喪失を伝えるために。 すみません、2日ぶりの更新です。 やっと心を大きく動かして呆然自失となる主人公を見ることができました。 いつも堂々としているヨ子は案外平気なんじゃないの? なんて疑心暗鬼でしたが、やっとヨ子の心の砕ける場面にも出会いました。 やっと、やっと。 ということで、今日はけっこう迫力をもって迫ってきました。 この利雄の心の喪失のリアリティが伝わるのは、ひょっとしたら今微妙な時代にいるからかな。 10年前に一瞬にして(誰かの)故郷が消失する、という東日本大震災を経験していることは大きいのだと思う。 利雄という人間にさえ、自分に起こらなければ実感できない悲劇…… それを我々はどう伝え続けるのか。 津波の教訓がとっくに忘れ去られていたように、どんなに大きな悲劇も代が代わるごとにに忘れ去る人間。 戦争の悲劇もそう。 ただ、この小説がその悲劇を語り継ぐために書かれたのかは疑問で。 たくさんの人が読んで共感できる小説にしあげてはないように思えるからで……。 でも、それこそ文学というわけか? いやあ、文学の道は険しいぞにゃ。 で、この挿絵は何でしょう。ピカソのゲルニカをちょっと思い出しましたが…… エノラ・ゲイ? 445話 終戦/敗戦 3 (要約羊) 異変を察した子どもたちに話す。アメリカの原爆によって父と母の故郷がなくなった、と。 どうかこれ以上日本でもアメリカでも人が死なないように、と夕食の前の祈りを唱える。 町が燃えないように手を差し伸べて下さい。 そして夜中には、一人で祈る。 なぜ戦争が起こるのか、善と悪を識別することがなぜこれほど難しいのか。一日も早く戦争を終わらせ、大きな厄災害の停止を実現してもらいたい。 446話 終戦/敗戦 4 (要約羊) 昼も夜も空襲警報に怯えていた国民の脳裏にあったのは大日本帝国そのものの命運である。 今のわたしたちの戦争はどういう形で終わるのか? 誰がいかなる手続きを経て戦争は終わりと宣言するのか? 軍人は官僚だから、上司の指示に個々の判断を加えて国家を運営する。行政を束ねるのは内閣で帝国議会がこれを律し、その上に陛下がいる。 二・二六事件で蜂起した者を陛下は叛乱と見なした。 今のこの国の苦境はあの時の比ではない。ことは国家の存亡であり、国民のほとんどはもう空襲はごめんと思っている。 その一方で本土決戦を叫ぶ勢力の主体は軍人である。本土決戦となればこの国がそのまま沖縄の災禍を繰り返すことになる。 国民の大半にその覚悟はないようにわたしには思われた。 447話 終戦/敗戦 5 (要約羊) けふ正午に重大放送 国民必ず厳粛に聴取せよ という号外が配られた。 分室では職場ごとにみなを集めてラジオの前に立つように指示を出した。 天皇陛下の玉音放送。 「ちんふかくせかいのたいせいとていこくのげんじょうとにかんがみ、ひじょうのそちをもってじきょくをしゅうしゅうせんとほっし……」 頭を垂れて聞いていても、何を言っているのか少しもわからなかった、という有名な放送ですね。 「何もわからなかった」わけですから、あまり率直にわからせるつもりがなかった内容なのでしょう。それを考慮すると(?)わかるようにと当方で漢字混じりで訳してもしょうがない。 作者も同じ気持ちなのではないでしょうか。 448話 終戦/敗戦 6 (要約羊) 「世界ノ大勢亦我ニ利アラス」 ここなのだとわたしは思った。 いろいろ言い訳や文飾はあるが戦争は終わった。我々は負けた 現代語訳を探してみました。一例だとは思いますが以下。 忠実なあなた方臣民に告ぐ。 私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。 日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。 アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。 だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。 その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。 このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。 そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。 これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。 戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。 戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。 これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。 臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。 けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。 私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。 感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。 国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。 あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。 現代語訳、と言っても、この時代が天皇陛下が喋った言葉でわかる時代だったわけではなく、多くの国民は何を言っているのかサッパリわからなかったようです。 第一、もっとも重要な「戦争に負けた」ということが伝わらなかった。 作者(利雄)は上の文章の赤線で示した部分で戦争が負けたことを知った、ということでしょう。 その他の分には「言い訳や文飾」はあるが赤線の部分の理由で、戦争は終わった、と。 何ともむなしい。負けたこともそうだけれど、率直に伝えられず多くの国民はポカンとしてしまったこと。 一生懸命戦争に協力してきたのにねえ。 449話 終戦/敗戦 7 (要約羊) わたしは職場を午後から休業にした。 明日は普通に出勤してほしい。 キリスト教徒なのに明日以降のことを思い煩う。 まずは進駐してくるアメリカの占領政策。たぶん、日本を屋台骨から造り直す案が提示されるだろう。 第一は武装解除=陸軍と海軍の解体。 つまりわたしは身分を失うだろうが、生き延びられたのだからしかたがない。 海軍省か軍令部からの指示が来るだろうが、本来の権威はなく組織を失って保身と責任回避に走るのだろう。 それが国の禄を食む官僚というものだ。 利雄はあくまで冷静です。明日以降のことを思い煩ってはいるのだけれど、それでもクールに来たるべきことを分析しています。 職を失うことも非常にクールに受けとめていますが、まあ、軍人ですから、敗戦で最も打撃を受ける職なのはしかたがないですよね。 450話 終戦/敗戦 8 (要約羊) 残務を終えて帰宅するとヨ子は戦争が終わったことで明るい顔で待っていて、次は平和のための戦に勝って敵を見返せばいい、という。 そして失職したわたしは、天文学の専門家か牧師になればいい、という。 今日の放送はご聖断だった、戦災の実態がどこまでお耳に届いていたか。首相や大臣ほかの面々が工作して最後に天皇が断を下したのだ。 そうして先祖への責任もある中で、初めて他国による占領という事態を見る天皇になるのだ。 そうかあ。利雄は玉音放送をした天皇に対してかなり同情的に思っている立場なんですね。さすが軍人です。 そうなら、447回、448回とひらがな~漢字混じりで二回も繰り返した意味は何なんですかね。 コメントには「字数稼ぎ」で「ズルくないか?」の感想が並びましたが、今になると確かに!! その通りですね。 あれは意味のない繰り返しだったのじゃないか、と思えます。 利雄が玉音放送を「ご聖断」だと讃える意味合いなら、一度でいいのですからね。 連載451話 終戦/敗戦 9 (要約羊) 8月17日、わたしは主だった部下を会議室に集め、これからの話をした。 はじめて他国の民族の軍靴が我が国の土を踏む。陛下の心境も察せられるし、軍人もこの世の終わりと思う者もいるだろう。 しかしわたしたちは生きていて、これから先は戦火で死ぬことはない。 我々水路部は海軍の中でも特殊で艦は有せず、「海軍水路部」ではなく、単に「水路部」と名乗っている。 我々には軍とは異なる戦後があるはずだ。 戦後という言葉にみなが顔をあげた。 何かこれは演説の資料が残っていたりするのでしょうか。 作者が現在考えた演説なのか、そうじゃなく戦後まもなく利雄がオリジナルでこの発想をしたのかでこの回の味わいはずいぶん違う気がします。 利雄本人がこんな風に希望に満ちた話ができたのなら大した人格です。 切り替えの良さというか、とても日本人離れした発想ができる人なのでしょう。
by hitujitonekoto
| 2021-11-10 14:37
| 新聞小説を読む「また会う日まで」
|
Comments(49)
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まつの緑
at 2021-10-28 10:35
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あらあ、可愛らしい赤ちゃん。
夏樹くん、お誕生おめでとうございます。 お祝いムードにケチつけるわけではないのですが、写真からの挿絵? 戦争末期にモコモコフワフワのおくるみ風なものがあったんですね。 皆さんジェラートピケって、聞いたことありますか?通称ジェラピケ。 ジェラートと付いていても、食べ物じゃないですよ。 モコモコの部屋着のブランドです。 どんなに人気かというとですね、ある日ある一角だけ若い女子でごった返す売場があったわけです。何事?と聞いたら、ジェラートピケのセールです、と。 若い女子に人気だから、ベビー用品もありましたよ。 何が言いたいかというと、夏樹くんのおくるみはジェラピケ風ってことだけです。
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hitujitonekoto at 2021-10-28 11:21
まつの緑さん
めっちゃ笑える~~~~~~!! ↓ >不味くても何とか我慢して食べられるレベルと、頑張ってもギブアップのレベルがあります。イギリスの食は後者のものが多かった まっじですか?! すごいわ。 あまりに可笑しくて笑いすぎて、前半のコメント忘れちゃいましたがしきりなおして。 >そろそろ武彦から子供が生まれたと便りがある頃でしょうか。 ほんと、これですよ。大当たり~~~~!! っていうか、挿絵は作者のアップですからね!?(可愛いからいいものの…) さて。まつの緑さんの今日のコメント。(ほんとに毎日ありがとうございます。とても嬉しいです) >ジェラートピケ いや、もうまたまた美味しい話かと、めっちゃ期待してしまいましたよ。 知らないのでちょっと調べたら、「部屋着」…ルームウェアで、ファッションのスイーツとして表現したブランドなんですって?! いや、わからんわ。それよりジェラートピケ、食べたいわ。 でも、これでまたまた知識が増えた…… ああ~~ありがたい~~\(^o^)/
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鮎子(AT)
at 2021-10-28 11:59
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緑さまの予言、またまた当たりました!
最近とみに神がかってこられたような。 1945年7月といえば、作者こと池澤夏樹誕生と私も覚えてはいたものの、戦時中、北海道帯広と岡山県笠岡の距離、そして確か福永武彦は帯広疎開後入院して息子の誕生日に退院したはずで、早々伯父のところにまで手紙を書いてそれが届くかどうかと思っておりました。 電報! 名前もついているのだから、電報が打たれたのはお七夜の後でしょうか。 赤ちゃんの挿絵、目が今の作者そのままですが、何とも可愛い。 昔の写真が残っていたのでしょうか。 7月にジェラードピケ風おくるみ?ではいくら帯広でも暑いでしょうから、生後数か月たってからの姿かと思いましたが。 この小説も作者誕生という山場を迎えました。 後は、敗戦、海軍解体。利雄の再就職は難航、病気…。 年内終了ということもあり?
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まつの緑
at 2021-10-29 14:57
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あら、パッツン前髪の夏樹くん。
誕生を寿ぐ澄の詩が美しいです。 昨日の赤ちゃんの挿絵は、鮎子さんコメントのように、生後数ヶ月の顔に見えます。 連載は、ゴールが近づいてきたように思います。 まだ書かれていないのは、原爆投下と敗戦だから、来月はそのあたりで。 そこで終了してほしいのですが、本作の場合は黙示録のような地獄絵図に引っ張っていき、長引く可能性も否めません。 来月末、長く見積もっても年内には終わると思うのですが。 Mから預かった鞄はどうなるのでしょう。終戦後中を開けて、小説のまとめ的なアイテムとして使われるか、何かしら役目があるのですよね、たぶん。 利雄に預けたということは、Mが持っていると危ないもの、あるいはMは命を落とす、どちらかですかねぇ。
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hitujitonekoto at 2021-10-29 18:48
羊です
鮎子(AT)さんコメントありがとうございます。 >1945年7月といえば、作者こと池澤夏樹誕生と私も覚えてはいた >福永武彦は帯広疎開後入院して息子の誕生日に退院したはず わあ。さすが鮎子さん! もうそんなこと何もかもすっかり忘れております。 >この小説も作者誕生という山場を迎えました。 後は、敗戦、海軍解体。利雄の再就職は難航、病気…。 もうほんとに世界をよくつかまえておられる。さすがだなあ。羊には「敗戦」くらいしか浮かばない(^^) >年内終了ということもあり? ね。何かそれもありそうですよね。 まつの緑さんも!! >連載は、ゴールが近づいてきたように思います。 やっぱり。 >本作の場合は黙示録のような地獄絵図に引っ張っていき、長引く可能性も否めません。 な、なるほど。 あの「終わりの思い」のちょっと不穏で重苦しい章を思い出すと、ありえますねえ。 >来月末、長く見積もっても年内には終わると思うのですが。 \(^o^)/羊も若くないので、どんどん進めていただいて、たくさん読みたいわ!
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鮎子(AT)
at 2021-10-29 19:51
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これまで何だか教科書のような文章だったのが、昨日から印象が変わったような気がします。
詩も明るいのですが、全体的な描写も筆の弾みを感じます。 作者もここへ来て堂々と祝福された自分の誕生を書いていると思えばくすぐったい気もしますが、その後の暗転があるからこそ(小説には登場しないでしょうが)ここで書くのでしょうか。 スーティーブンソンといえば、『宝島』『ジキルとハイド』の作者と思っていましたが、詩も沢山書いているようですね。 スティーブンソンは若いころから結核でヨーロッパ、アメリカ、ハワイ、南洋と転々としながら執筆していたそうで、もしかしたらそんなところにも利雄は親近感を覚えたのでしょうか。 そういえば、以前ハワイでスティーブンソンが詩作のインスピレーションを得たというその木の下に、現在ビーチフロントレストランがあり、そこで朝食を食べたことがあります。 緑さま、青さまの”イギリスは不味い”談義を楽しく読ませていただいております(私はイギリスにはまだ行ったことがないので)が、アメリカも食事に関してはあまりよい点はつけられないが、このレストランは珍しく美味。 お勧めのエッグベネディクトは素晴らしかったです。
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まつの緑
at 2021-10-30 16:53
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>戦争のせいで先が見えない。
先が見えないのは、あなただけではないと思いますけど。 空襲の1番幼い犠牲者は8ヶ月の子供らしいとの噂があり、 >つまり、まかり間違えば夏樹は生後一週間で爆弾の直撃を受けて死んでいたかもしれないということです。 何をおっしゃっている。 東京大空襲では、何人ものお腹の大きな妊婦の焼死体が川に浮かんでいたといいますよ。生後1週間どころか、生まれるさえできなかった命です。 将来の不安だの、仕事の口がないだの、何なの。 体が弱いとか、病気のこともありますが、子供もいるのだから、グチるなと思ってしまいます。
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ヤシマ
at 2021-10-30 22:17
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同じ空襲でも地域によっていろいろ差があるのですね。
生後一週間の乳児を抱いて防空壕に入って、何事もなかったとは・・・・ 沖縄では、同室の兵士に迫られ、泣く我が子の口を塞いで死なせてしまった母親がいたと聞きます。 空襲があったとはいえ北海道ではそれほどの緊迫感はなく、生活や将来の心配が先に立つのでしょう。 しかし敗戦を翌月に控えて、国内の郵便が良く機能している事に驚きます。 明日で終戦になってくれれば年内終了が見えて来ますが、さて。
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hitujitonekoto at 2021-10-31 23:44
鮎子(AT)さん
エッグベネディクトって何ですか~~~!? っていうんでまたまた検索のお世話になりました。 明日の朝、さっそく食べたいような素敵な写真が出てきましたよ~。 そういえば思い出すのがアメリカの朝食の紹介(たしか「暮しの手帳」だったかな)で、 「しょっぱい甘いアメリカの朝食」という見出しで、アメリカの庶民たちが行きつけの店で食べる朝食……カリカリのしょっぱいベーコンとパンと甘い甘いホットチョコレート、というのを読んで、もんのすごくヨダレをたらしました。(紙面でのみ知るアメリカの朝食) 実体験では、かけあしのヨーロッパ旅行をしたことがあるのですが、イギリスとフランスの朝食の貧困さったらなくて、来る日も来る日も、まずいパンと薄いようなコーヒー・紅茶のみ! 日本でいえば、白米とお茶だけで朝ごはんにしろなんて……殺生な、けったいな、薄情な、と毎朝泣いてました。 まつの緑さん >将来の不安だの、仕事の口がないだの、何なの。 体が弱いとか、病気のこともありますが、子供もいるのだから、グチるなと思ってしまいます。 「何をおっしゃっている」!!! から始まり、この真っ当でピシっと決めた「グチるな」の一言で、利雄さんも今は背筋を伸ばして謹聴していることと思います。(……気持ちえ~~~。) ヤシマさん >敗戦を翌月に控えて、国内の郵便が良く機能している事に驚きます。 確かにそうですねえ。こつこつ真面目な日本人気質なのか、軍部の肩入れなのか… >明日で終戦になってくれれば年内終了が見えて来ますが、さて。 あ~、もうあと少し! 少し! がんばれ、がんばれ!!
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まつの緑
at 2021-11-01 09:59
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新章、終戦/敗戦。
はあ〜、今月で終わらず、来月末まで続くのかしら。 特に感想もなく、横道ばなし。 リンボウ先生こと林望の「イギリスはおいしい」 大昔読んだので記憶はおぼろですが、おいしいものは、あまり出てこなかったような。でも、ルバーブやリーク(ポロネギ)をこの本で知りました。 それから、不思議の国イギリスと思ったのは、イギリスの奥様の皿洗いです。台所洗剤で皿をこすり洗い、皿をすすがないまま終了。体に悪いと思うのですが。 紅茶ですが、久々に買った茶園のダージリンが昔ほど美味しく感じなくて、加齢で私の味覚が変わったのかしら? 2年前は美味しくて感激したのに。 不作や、コロナのロックダウンで収穫時期がずれた、とかもあるようです。
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鮎子(AT)
at 2021-11-01 20:16
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>将来の不安だの、仕事の口がないだの、何なの。
体が弱いとか、病気のこともありますが、子供もいるのだから、グチるなと思ってしまいます。 ふふふ、緑さまにバッサリやられましたね。 武彦の愚痴の原因は、多分、奥さんの実家に厄介になっているのが、本人曰く「ともかく居心地が悪い」(『福永武彦戦後日記』より)ことによるところ大ではなかったかと私は推測しています。 山下夫妻にしてみれば、神戸からあの時代に東京の女子大で勉強させようと娘を送り出したのですから、相当の期待もあったのではないかと思われます。 その娘が東京で会った男性と2人で結婚を決めてしまい、卒業早々結婚。 その後、東京は連日のように空襲で、娘が妊娠したこともあって2人で山下夫妻を頼って疎開してきたのは仕方ないとしても、娘の婿は病気で入院するわ職はないわ、赤ん坊は生まれるわという状況で、山下夫妻としては不安も不満もあっても不思議はありません。 山下夫妻にしても夫の職場の疎開で家族ともども帯広に来ており、慣れぬ土地で苦労もあり、娘婿に寛大になれなかったこともあるでしょう。 戦時中ということで武彦にしろ山下夫妻にしろ気持ちに余裕もなかったでしょうし。 そういえば、以前、利雄が「自分は平民で普段それを意識することもないが、まだ自分が士族であることにこだわっている人もいる」というようなことを言って、武彦の妻の母はが士族出身で平民であるその夫を下に見ている、というような例を出していたような覚えがあります。 (最初、どんな関係の誰のことやらよくわからなくて、こちらのサロンで話題になりましたよね。) 恐らく利雄は戦後笠岡へ訪ねてきた武彦から話を聞いたのでしょう。 山下夫人は武彦から見ると結構うるさい義母だったのかもしれません。 空襲、沖縄戦、原爆。 重大事なのに、なんとなく、義務的に語られているような感がぬぐえません。
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ブルーハート
at 2021-11-02 10:05
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乱入!
ブルーハートです! 「猛烈な破壊的な風圧」をもたらす「原子どうしのやりとりから生じる桁の違うエネルギー」 物理学を「修めた」主人公に、 作者が語らせる「あれ」の原理。 そうですよね、私達は何度も何度でも「あれ」の原理を反芻して、息苦しさを覚えて、取り返しのつかない出来事を胸にしっかりと落とし込まなければいけないのですよね。 ともすれば、日常に紛れて忘れてしまう「あの」出来事を思い出させてくれる役割が、小説や映画にあるのではないかと思ったりします。 このサロンでご一緒させて頂いた連載小説「国宝」や「火の鳥」にも原爆は一つのモチーフとして存在していました。 不思議な事に、ここまで克明に戦争を原爆を言葉にしているのに、何故かこの物語、この主人公は私にとってその「役割」を果たしてはくれないのです。 皆様のコメントを拝読させて頂きながら、「終わり」を待つ毎日。 横道それの介で、美味しいもの話が楽しいです。 鮎子様のハワイのレストラン、素晴らしいところですよね! 俺、ハワイで何食べたかなぁ…ドーナツ(マラサダ)と海老(ガーリックシュリンプ)と、極彩色のかき氷で生きてたようです。体に悪そう(笑)m(_ _)m
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まつの緑
at 2021-11-02 14:12
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この小説の特性?として、原爆が投下されたら、まずは原理や開発の歴史を描くだろうと思っていました。
で、先月末の広島の原爆投下の回は、原理について触れ、あっさりと終わりました。 さすがに故郷長崎に投下されことは衝撃だったようですね。 これも、この小説の特性だと思いますが、人々の苦しみより「神はお怒りになり全てを焼き尽くそうと思われた」になるのでしょうか。 明日か明後日の挿絵がいつもの聖書タッチで、読む前から「やっぱりね」と思うことになるのか?
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hitujitonekoto at 2021-11-02 16:50
鮎子さん
ブルーハートさん まつの緑さん コメントありがとうございます。 そうかあ。みなさん、今日もかなり利雄には満足いかないんだねえ。 (利雄か?) 面白かったのが鮎子さんの山下夫妻の話。 すっかり忘れてましたが、話、しました、しました! ここでその原文を第36話かな? そのへんです。 「士族と平民について思い出すのは甥の武彦の愚痴である。妻の澄子の母親が淡路島稲田藩の下級武士の娘で、親が移住した北海道で生まれた。夫となった庄之助という男がやはり親の代で福井県から流れてきた平民だった。それで身分差をしばしば嘆くと言う。一家は一時は大きな牧場を経営していたというから、没落の無念も混じっているかもしれない。ちなみに庄之助はわたしより一、二歳は下であるらしい。」 「甥の武彦」、愚痴ってますねえ^m^ 確かに義母との不和(その後の離婚?)の伏線なのかもしれませんね。 何だか今読むと「遠野物語」思い出します。
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hitujitonekoto at 2021-11-02 16:52
羊です。
コメントありがとうございます。 青さんやまつの緑さんにもっと書きたいけど、時間がなくなっちまったあ。 明日は新できないかもしれません。 あさっての更新は遅くなる見込みです。 そんな怠慢に慣れて頂いてコメントいただけて、光栄です。(?)
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まつの緑
at 2021-11-03 16:12
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東京大空襲は、日野原医師が語り手的な役割でしたね。
聖路加で遭遇して惨状を語ったり(本当に出会ったのか、創作か、知らんけど)、米軍が撒いたビラを利雄に送ったり。 広島は、原爆の原理を書いて1回で終了。 なんだか人事のような感じを受けました。 長崎は故郷であり、サラッと流すわけにはいかず、主に祈る。 ところで、池澤夏樹の母である燈のペンネームは原條あき子。原條は、澄の母つまり池澤夏樹の祖母の旧姓。 なぜ母親の旧姓をペンネームにしたのか?原條の名前に誇りがあったのか? 母方の先祖のことを書いた「静かな大地」の作者付言によると、小説では宗形家としたが、モデルは原條新次郎と原條すすむ。 原條家は、淡路島の稲田藩の武士で、明治になり稲田藩の侍たちは北海道に入植する。 原條家が、淡路島から船で北海道に向かったのは1871年(明4)。 澄の祖父である原條すすむ、1864年生まれ。兄の新次郎は、1862年生まれ。2人とも両親と共に北海道に渡りました。 新次郎とすすむの兄弟は、後に静内で原條牧場(馬の牧場)を始めます。新次郎に先見の明があり、馬は開拓に、やがて軍馬として需要が高まり大成功するものの、陥れられて没落。新次郎の悲劇的な死、弟すすむ一家も静内を離れることになります。 澄の母は子供時代は牧場で育ったのだと思います。開拓や牧場で苦労した話を娘の燈に話し、澄も息子の夏樹に話していたのではないかしら。 両親の苦労を知る澄の母にしたら、娘婿の武彦は不甲斐なく感じたのかもしれません。 武彦にしても、お世話になっている以上気を遣ったり遠慮はあったでしょう。 弟の養父になった利雄に愚痴を言ったのも、甘えられる存在だったのかもしれません。 東京にいたら食糧もままならず、妻の実家に頼れたことを感謝して過ごしてほしいですよ。
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まつの緑
at 2021-11-03 18:59
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投稿後読んだら燈と澄が混在して申し訳ありません。「澄」と書いたつもりでした。
羊さんが引いて下さっていたのですが、再度。「海軍兵学校」の章です。 卒業生名簿に○○県平民とか士族と書いてある話があり、能力が高い女子もいて水路部は彼女たちの計算力に助けられた話の後に書かれています。 >士族と平民について思い出すのは甥の武彦の愚痴である。妻の澄子の母親が淡路島稲田藩の下級武士の娘。夫となった庄之助が平民で身分差をしばしば嘆くと言う。 一家は一時は大きな牧場を経営していたというから、没落の無念も混じっているかもしれない。ちなみに庄之助はわたしより一、二歳は下であるらしい。 いきなり「妻の澄子」ではなく、「武彦の妻の澄子」と書いてほしかったです。 誰が身分差を嘆くのか、分かりにくかったです。澄子の母親?庄之助? 誰の一家が大きな牧場を経営していたのか、そこも名前があると分かりやすかったのですが。 私の読解力の問題かもしれないので、私にはもう少し丁寧な書き方でないと伝わらなかった、としておきます。 澄子の母親は、名前を出さないのね。庄之助の名前は書いているのに。
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鮎子(AT)
at 2021-11-04 09:38
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緑さまのコメント、大変興味深く拝見しました。
現在名前が出ていない、澄子の母親。 作者にとっては実の祖母であり、子供の頃面倒をみてもらった親しい存在だったはずですが、よく知るだけにかえって言いづらいのでしょうか。 澄子の母親は自分の先祖に対して誇りを持ち、澄子もその母の気持ちを受け継ぎ、母の旧姓をペンネームにしたのかも知れません。また、母親の誇りが娘たちに高い教育を与えることにも繋がったのかという気もします。 そんな母親にとって、終戦間際の状況は不本意だったと思われます。特に生まれ育った北海道に久しぶりに住むようになって余計に昔のことが思われたこともあるかもしれません。 緑さまのコメントにもありましたが、武彦にはそんな澄子の母に対して”感謝”が足りず、それでよけい関係がギクシャクしたかもしれないというのも大いにあり得る話です。 小説の先のことを話すのもよくないかと思いますが、『福永武彦戦後日記』によれば武彦はこの後上京して利雄の家に数カ月滞在し、相当厄介をかけます(この小説が武彦の秋吉家滞在に触れないとは思えません。) 最後にはヨ子を怒らせてしまい…、という具合で、これも”感謝”が足りないゆえのことかも知れません。 ただ、武彦は自分の才能に自信を持ち、文学活動に惜しみなく情熱を注ぎ、努力していたことは確かだと思います。日記からもそれはうかがえます。 大伯父である利雄はそこを見ていて、暖かく接していたのかとも思われます。 『日記』だけでは福永武彦は自分に対して周囲がよくしてくれるのが当たり前と考えていたように見える部分もありました。 通り雨さまが、福永武彦は従弟である秋吉輝雄に対して非常に良くしており、中東戦争勃発の際は武彦が借金までしてイスラエル留学中の輝雄に避難のための送金をしていると教えてくださって、これで随分私の”福永武彦像”を修正することができました。 武彦は、若い時は甘えていたかもしれなくても、いつかの時点でそれまで受けてきた恩を感じ、自分が今度は人に暖かくする番だと思うようになったのではないかという気もします。 すべて私の勝手な想像でしかありませんが。
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鮎子(AT)
at 2021-11-04 09:39
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青さま
ノースショアでサーフィンを楽しむ青さまですから、相当カロリーは必要だと思います。 オアフ島の北へのドライブには、こちらでもマツモトシェイブドアイスとカフク海老のガーリックシュリンプはつきものです。 マラサダは次、試してみます。って、次、いつ行けるのでしょうか。行きた~い。行くんだ。行くぞ。行きます。行くとも。 本筋とは関係ない話で、すみません。
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まつの緑
at 2021-11-04 17:58
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>国民の大半にその覚悟はないようにわたしには思われた。
父から、友人や親戚もこの戦争は負けると言っていた、と聞いたことがあります。 祖母は、8月15日を過ぎても、陸軍の軍人はまだヤル気だったと話していました。 明日以降は、いかに戦争を終わらせたかの話になるのでしょうか。 池澤夏樹は、「福永武彦の戦後日記、最初帯広のサナトリュウムにいて、その後東京の清瀬に移ったが、非常に不安な精神的混乱の時期を書いたのがあの日記です。」と語っています。 職もなく、食糧も乏しく、不満が溜まるのはわからなくはないです。 でも、我が子の顔も見ることなくと戦地にいる同世代の兵士もいるのですからね。 でも、こんなことも思ったりします。 我儘で、自堕落で、人としてどうなのと思うこともある。(例えばの話、武彦のことではありません) だが、その作品は才能が煌めいている。 一方、人間的には立派だが、作品は凡庸である。 うーん、やはり素晴らしい作品に触れてしまうと、許しちゃうかな。作家に限らず、芸術家、音楽家、役者でも。
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まつの緑
at 2021-11-05 15:18
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終戦の詔書を全文載せる小説。
開戦の時も、全文載せましたよね。 今日の回の全てひらがなの詔書は、高齢者いじめでしょうか?目がついていきません。ユニバーサル仕様でお願いします。 この時の国民は、ラジオで聴いています。読者にはひらがなで読ませたいわけ? 昨日の回より、 >このたった今のわたしたちの戦争はどういう形で終わるのか? >誰がいかなる手続きを経て戦争は終わりと宣言するのか? 月初めに玉音放送が出てきました。 明日からは、上記の終戦までの経緯が書かれるのでしょうか。
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hitujitonekoto at 2021-11-05 18:29
まつの緑さん
今ごろのコメ返恐縮ですが、イギリスの奥様の皿洗い!(今ごろか~) 驚きですね。 でも、何か想像できちゃうのは何でしょうねえ。日本人ってやっぱり何だかんだ、よく洗いますよね。 水の豊富な国ならではなのでしょうかねえ。 >茶園のダージリンが昔ほど美味しく感じなくて これ、羊はコーヒーのモカやエチオピアが昔ほど美味しく感じられない~~。 まあ、紛争地域のコーヒーなので、品質が安定しないのかな? とか思ったりするけれど、加齢で味覚が変わったのか、というご意見もあながち…… そういえば、山梨に行ってたんですが、そこには「珈琲問屋」という非常に安いコーヒー豆の焙煎のお店があって、昨日はモカなんちゃらが100g100円台の値段で出してたので、すごく欲しかったのですが、時間的に買えませんでした。 まあ、まさに奴隷労働の対価なのではないか、とちょっぴり悲しくなりましたが、ん~~でも、その場で焙煎で新鮮なので、ちょっと欲しかった(^^) 今日カルディでその4倍の値段で買いました。 しかし、イギリスの奥様、体に悪いですよ、絶対(^^) で、体に悪そうなハワイ食の ブルーハートさん(^^) ドーナツと海老とかき氷で波に乗ってたんでしょうか? サーファーなら、なんかそれでいい気がするのは何だろうなあ。
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hitujitonekoto at 2021-11-05 18:42
まつの緑さん
澄の両親の(というか一族)の話、なるほど。まとめていただくと大変な苦労の一家だということがわかりますね。北海道での新事業、大成功するのにもそうとうな苦労があったでしょうし、そして没落… >両親の苦労を知る澄の母にしたら、娘婿の武彦は不甲斐なく感じた うなずけますね。そして、例の章の例の文! はい。羊もさっぱりわからなくて、訳す時に苦労しました。 まさにまつの緑さんが書いていた、 >誰が身分差を嘆くのか がです。羊は初めは「庄之助」が嘆いたのだと取りましたもの。
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hitujitonekoto at 2021-11-05 18:46
鮎子(AT)さん
>武彦は、若い時は甘えていたかもしれなくても、いつかの時点でそれまで受けてきた恩を感じ、自分が今度は人に暖かくする番だと思うようになったのではないかという気もします。 ああ、すごくいい想像だと思います。 別に品行方正でなくても全然かまわない。人間的に凹凸のある人物でいいと思う。 でも少なくともモノカキの彼は、人間というものを自分も含め多角的に捉える訓練はしていたのではないかしら。だから、自分についてもわかっていた面はあると羊も思います。 そして、ハワイに行くのです、行ってください、行け! 鮎子さ~ん!!
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hitujitonekoto at 2021-11-05 19:00
まつの緑さん
まつの緑さん >うーん、やはり素晴らしい作品に触れてしまうと、許しちゃうかな。作家に限らず、芸術家、音楽家、役者でも。 あ~。これ、実体験があります。親友でもあり、憎くケンカ別れした友人がン十年して自分の著作(自費出版)を送ってきてくれました。 「ふん、アイツ。本書いたって? なにさ」とゴミ箱に捨てたいところを^m^我慢して読んだ。 そしたら読めば読むほど力作! 気取らずにさらけ出した文章。自問自答、悩み。でもたくましく生きてる! 「さすが、負けず嫌いのあの子らしい!」と感動して、すぐに電話して話していたら、すっかり二人の仲は元通りになってました。アホだね、わたし。 >この時の国民は、ラジオで聴いています。読者にはひらがなで読ませたいわけ? 今日の回の玉音放送ですね。はい。羊は作者が「ひらがなで書く」ことで、この「わからなかった」放送への皮肉を込めているのではないか、と取りました。 >ユニバーサル仕様でお願いします。 さすがまつの緑さんです。羊はもうこんな中身、知りたくもないわ、と放棄でした^m^
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まつの緑
at 2021-11-05 22:32
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羊さん
ていうか、詔書を書き写して(しかも、ひらがな)、これも原稿料のうち、ずるくない?な〜んて思っちゃって。
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hitujitonekoto at 2021-11-06 16:00
まつの緑さん
>これも原稿料のうち、ずるくない? おお~~なるほど、そうであったか! そしたら、今日なんかその上塗り!! (う~~~ん、なるほど卓見かもしれない) じゃあ、明日は現代語訳で勝負! とか? いや、しかし戦争が終わった……! 一応なんかホッとしました。 これから利雄の内心の苦しみがあるのでしょうか。いや、信仰があるから大丈夫なのか。 これってループのような小説で、利雄の最期の回想の形でこの物語の一人語りが語られているので、(さすがに、もう一度できごとを書く、ということはないでしょうが)読者が利雄の最期に立ち会うのだとしたら、もう一度この物語を反芻しながら利雄の人生を振り返る作業をすることになるのかもしれません。
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まつの緑
at 2021-11-06 16:12
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カタカナの終戦の詔書、昨日は全文書き写しとコメントしてしまったのですが、全文ではなかったような、、、?
昨年緑内障の手術を複数回して、小さな字を読むのが苦痛になったもので、あのヒラガナのダラダラは読む気にならず、全文と思い込んでしまいました。 今日の回は、新聞に載ったという漢字が混じった正文。 作者が書いたものは、最初の1行と最後の4行で、計5行。 何かしら意図があってのことでしょうか? まさか手抜きなんてことわね(シッー🤫) 新聞連載小説で2日続けてこれは、どうなのかしら? 作者が書いた貴重な文から、 >「世界ノ大勢亦我ニ利アラス」、ここなのだとわたしは思った。 ここなのでしょうか?
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まつの緑
at 2021-11-06 17:01
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AERAdot.「文豪たちが聞いた玉音放送」の記事が面白いので紹介します。
https://dot.asahi.com/wa/2019081400006.html?page=1 岡山県勝山に疎開していた谷崎潤一郎を8月14日に永井荷風が訪ねてきた。 牛肉と日本酒を入手して、スキヤキでおもてなし。 翌15日、谷崎夫人が荷風に持たせた弁当は、白米のおむすび。 荷風は、汽車で居眠りし玉音は聞いていないらしい。 谷崎、これで細雪が発表できる 乱歩、探偵小説が復活するぞ 高村光太郎、戦争協力を反省し独居自炊 井伏鱒二、 新聞何日も届かず 三島由紀夫、 無関心 太宰治、「ばかばかしい」を連発 吉村昭、「負けたぁ」
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鮎子(AT)
at 2021-11-06 19:47
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前にも書いたような気がしますが、本ならともかく字数の限られている新聞の連載で、昨日、今日のような玉音放送の詔書の平仮名書き、新聞に載った正文を連続で載せるのはちょっとどうかと思います。
小説やドラマなどで何度もお目にかかっておりますし。 作者独自の分は5行とは。 私も今週は細かい数字をずっとチェックする必要があり、まぶたが痙攣するほど目が疲れているので、この2回は拷問のようでした。
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kase551 at 2021-11-06 21:38
こんばんは。ごぶさたしております。
まつの緑さんの 「詔書を書き写して(しかも、ひらがな)、これも原稿料のうち、ずるくない?な〜んて思っちゃって」というコメントと、 鮎子さんの 「本ならともかく字数の限られている新聞の連載で、昨日、今日のような玉音放送の詔書の平仮名書き、新聞に載った正文を連続で載せるのはちょっとどうかと思います」 というコメントに、「ホンマホンマ!」と全面同意しました。 それにしても、「爾臣民」という表現、すごいですね。 それを「あたりまえ」と感じて生きてきた人なので、原爆についても、「やむをえないことと、私は思ってます」と言えるのですね。 https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A しかも、長崎については完全に無視・・・・ 今、気づきましたが、「思っています」と言わずに「思ってます」と表現する「話法」は、菅前首相と同様です。 「公式の場で、ホンマ、みっともないなぁ」と、私は感じます。 ひさしぶりにおじゃまして、手前勝手なことばかりほざいてすみません。 私のコメントにご意見がある方は、ここにはお書きにならずに、 kase551@hotmail.com にメールをお送り下されば、幸いに存じます。
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まつの緑
at 2021-11-06 22:23
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昨日はラジオで玉音放送。
君が代の演奏からの〜、 >やがて遠い洞窟の奥の方からのような玉音が雑音に混じって聞こえてきた 洞窟の奥から聞こえるような音声を表現したいのか?紙面では、ぜーんぶ平仮名。 今日は、その後で新聞に載ったからと、漢字混じりの正文。 平仮名か漢字が混じるかの違いだけなのだから。 鮎子さんもコメントしていらっしゃいますが、通常の長編小説ならまだしも、新聞連載ではどうなの?と思います。 今日のように、ほぼコピペ、自らの筆は数行ではなおさらガックシです 林真理子がラジオで言っていたのですが、連載(新聞だったか、週刊誌だったか忘れましたが) のネタに困った時は、食べ物のことを書くのだそうです。 あれ、この連載でも最近思いあたることが、、、
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まつの緑
at 2021-11-07 08:48
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当面は、進駐軍が来るまでに書類の焼却に励むのではないですか?
>加来止男(とめお)をはじめ多くの同輩を失った。水路部という陸上勤務で自分は生き延びることができた。 (この件については後でゆっくり考えよう。) 東京に戻ってから、後楽園球場で加来が受けた水を思い雨に濡れたことは、最初の章に書かれています。 改めて、その思いを再度書くのでしょうか? 原子爆弾についての知識があり、妻はアメリカで暮らしたことがある。日本が勝利するとは思えず、どのように戦争を終結させるのか?という思いだったのでしょうか。 いつも通り、淡々としています。 この方の感情の発露みたいたものを読んだのは、妹トヨの懐妊のいきさつと、その後のトヨと末次郎の結婚までだったかなあ? 連載はまだ終わっていないので、今のところ感じていることですが。 Mは存命で、鞄を返すことができるのか。 あるいは、利雄がMの鞄を開けることになり、その中に入っているものが本小説の最後になるのか。 そこが気になります。
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hitujitonekoto at 2021-11-07 17:48
まつの緑さん
またまた面白い記事のご紹介、ありがとうございます。 ほんとにいろんな敗戦の迎え方をしていますね。 谷崎さんちはやっぱりお金持ち^m^ でもつくづく文豪のみなさんにとって大切なのは小説が世に出せる! ってことなんですねえ。 当然かもしれませんが、小説家の業の深さを見る思いがします。 まあ、それでこそ小説家です。当然です。平和な世の中の象徴っつうことかな? 鮎子(AT)さん >まぶたが痙攣するほど目が疲れているので、この2回は拷問のようでした。 鮎子さ~~ん、お疲れ様~~~。羊ならそんな状態で読むことなんて絶対しないのに、そこを「読む」というのが鮎子さんの凄さ。 読んでる鮎子さんは、何をどう批評してもいい。その資格があります!! \(^o^)/ お! kase551さ~~~ん! お久しぶりです。 前半、まつの緑さんと鮎子さんに全面同意と。 なるほど、と思って読んでいたら、さすがkaseさんの面目躍如。 後半の歯に衣着せぬ批判の羅列にま~~~、ぶったまげて笑いましたがな。 根拠を示して批判するのは全然OK! 権威に忖度する必要もまるでなーし! ですがいつもご配慮ありがとうございます。 >私のコメントにご意見がある方は、ここにはお書きにならずに、 kase551@hotmail.com にメールをお送り下されば、幸いに存じます。 メールは来たのか来なかったのか、ちょっと知りたい…… ^m^
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hitujitonekoto at 2021-11-07 17:56
まつの緑さん
あ、そうでしたね! 鞄! ほぼ唯一の謎ですから、ちょっとこれは面白くなってほしいところですが… >Mは存命で、鞄を返すことができるのか。 あるいは、利雄がMの鞄を開けることになり、その中に入っているものが本小説の最後になるのか。 そこが気になります。 なるほどねえ。さすがまつの緑さん。ほぼこの二択に尽きるいい命題ですねえ。 う~~ん。 Mは嫌いじゃないので、生きていてほしいんだけれど…… 利雄がMの鞄も開けてほしい。 という全択で!
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まつの緑
at 2021-11-08 10:57
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ヨ子さん、前向きな方ですね。
道は開かれると考えているようです。 さすが、自ら道を切り開く生き方をしてきた女性は逞しい。 利雄 「夫は失職した」 ヨ子 「別の仕事を探せばよい」 利雄 「そう簡単にいくか」 ヨ子 「軍人は特性の一つにすぎない」 作者は、ヨ子にスカーレット・オハラの逞しさを重ねているような感じをうけます。 戦後、利雄が入院した時、ヨ子は千葉県の稲毛で働いていて、洋子が病院で利雄の付き添いをしていたのですよね。 1949年には、杉並区の善福寺川あたりに家を建てていたようです。 ご一家のプライバシーに踏み込みたいのではありません。 ヨ子さんという方の頑張りに感嘆しました。attributeを活かして働き、残された子供たちも育てたのですね。 http://sas2005.eco.coocan.jp/38_cottage/cottage.html#top まだバラックの小屋に住む人々もいたでしょう。このモダンな洋風建築を自力で建てたとしたら、かなりの才覚だと思います。 (多少の実家の援助があったのか分かりませんが) 善福寺川は、東京女子大の近くですから、懐かしい場所を選んで建てたのかしら。
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hitujitonekoto at 2021-11-08 14:27
まつの緑さん
>ヨ子 「軍人は特性の一つにすぎない」 あ。すっかりわからないものでスルーしていた単語ですが、まつの緑さんが教えてくれていた~~! アトリビュート=特性。ありがとうございます。 そして、ヨ子の性格についてですが、羊は正直今日は、このあっけらかんとしたところに鼻白む感じもしてたんです。 ですが。まつの緑さんが、その後のヨ子の奮闘ぶりをあらためて書いて教えてくださいました。 稲毛で働き、家を建てた!! ずっとこの逞しさを貫いた女性ということを作者は意識し描写しているのですね。 スカーレット・オハラ。土くさ~いドロくさ~い生臭~い(いい意味です)女性の逞しさで描けいたのは同性の女性作者。 男性はもうちょっとスマートで怜悧な感じでスカーレットの逞しさ、というものを捉えているのかもしれないなあ、と映画の印象やまつの緑さんのコメントを読みながら思いを馳せました。 さて。そのヨ子の建てた家も、みることができました。 まつの緑さん、資料をありがとうございます。 クヌギ林に囲まれた家……豪邸ではないけれど、当時としては、手入れが合理的にできそうで、理想的な住まいだったのではないでしょうか。思考も日本の枠から離れて軽やかな女性だったんですねえ。
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鮎子(AT)
at 2021-11-08 16:50
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Mについて、『終わりの思い』で利雄はMが「いずれ回顧録を書く」と言っているからその名前を自分は明かさないというようなことを言っていました。
ということは、Mも戦後まで生き延びて、利雄は預かっていた鞄を再会したMに返し、その時Mから「鞄の資料を基にして将来回顧録を書く」と聞いたたのだろうと私は勝手に解釈していました。 Mが『終わりの思い』の時点でこの世にいなかったというのは新しい説で、いっそそうだったら面白いです。 今日の回は、ヨ子と利雄の考えの違いにちょっと興味がわきました。 やはり、アメリカで実際数年生活し、その時何人ものアメリカ人に助けられ、友達も持てたというヨ子は親米というか、好印象を持ち続けていたのでしょう。 この先ヨ子は稲毛でYWCA関係の仕事に就くのでしたっけ。 『終わりの思い』では利雄自身は再就職がうまくいかず落ち込んでおり、ヨ子のことを「(子供の)母親」と表現するなど何となくよそよそしい感じを受けました。 利雄が亡くなるときも、付き添っていたのは洋子でしたし。 戦後、2人の間の考え方の相違が目立つようになるというのなら、それもまた面白そう。 少なくとも夫婦の間に波風一つ立たなかったというより、何かあった方が、この小説としては、マシ!な気がします。 でも、ヨ子は利雄の死後も惚れこんでいたとか。とすると、この路線も望み薄ですか…。
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まつの緑
at 2021-11-08 22:00
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以前紹介した「武士の娘」
杉本鉞子の生涯を書いた内田義雄のノンフィクション「鉞子」 この本には、終戦後の鉞子のことも書かれています。 戦前アメリカに住み、クリスチャンでもある日本人女性、ということがヨ子との共通点です。 鉞子は明治31年に渡米、娘2人はアメリカで生まれ、アメリカで教育をうけています。昭和2年に帰国。終戦後は、白金にある次女の千代野の家で同居。 千代野夫婦の屋敷は焼けて、焼け残った使用人用の小さな家屋に住んでいました。千代野の夫は、福沢諭吉の孫です。 千代野は夫が病気がちのため、仕事を探していました。 近所に米軍が接収したハットリハウスといわれる邸宅があり、千代野はそこへ行って仕事がないか尋ねたところ、英語のうまさに感心され通訳として採用されたそう。 ハットリハウスは、戦前は服部時計店の創業一族の建物で、戦時中は日本軍が接収、戦後は米軍が引き継ぎ、極東軍事裁判の判事や弁護士が駐在する宿舎兼事務所でした。 鉞子のアメリカ時代に交流があった人々が進駐軍にいて、マッカーサーの側近の将軍夫妻も友人でした。 軍関係だけでなく、民間企業で日本に派遣された友人が鉞子の居所を探して再会。 ヨ子の友人、知人も心配していたのではないでしょうか。
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まつの緑
at 2021-11-09 08:51
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戦時中の水路部のお写真などを見させていただいた「星の友会」のHP、こちらの編暦業務の歴史年表によると、
昭20年11月 水路部の運輸省移管と同時に第4課は編暦課と改称 昭和23年5月 海上保安庁が運輸省の外局として創設。水路部は同庁所属となる 利雄はの部下へのスピーチから、 >我々は海軍省や軍令部麾下(きか)の諸部門とは異なる戦後があるのではないか」 航海暦、天体暦は平時でも商船隊などのために必要であり、コンピューターが導入されるまでその計算に多くの人手を要した、計算に従事した女性たちの多くは戦後も同じ業務を続けた、そうです。
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鮎子(AT)
at 2021-11-09 12:16
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すでに先を明かされている話を改めて日ごとに説明されても…。
オリンピックのテレビ放送でも、ライブなら試合開始まで時間があっても会場のざわめきや選手の入場、緊張した面持ちなどワクワクしながら見られるのは、やはりこの先どうなるかわからない状態で、一体どうなるのだろう、どんなふうに試合が展開して誰が(もしくはどちらが)勝つのだろう、それがこれから見られるのだという期待があるからではないでしょうか。 結果が出た後では、録画で全体が放映される場合でも試合の前後はカットされていることが多いですし、ニュースやワイドショーなどでは勝負が決まった場面だけつないだダイジェスト版が流れます。 『また会う日まで』は、実話である上に最初に『終わりの思い』でストーリーのあらましを語ってしまい、その後で一人称で一々細かく、直接話法多用、時には資料をそのまま載せて語っていくので、長いな~としか思えません。
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まつの緑
at 2021-11-09 16:22
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鮎子さんがおっしゃること、よくわかります。
私の今の興味は、もはや小説の面白さではなく、ヨ子さんの戦後です。 子供達を食べさせ、戦後4年で家まで新築したのは、相当な収入の仕事をしていたのだと思います。 ヨ子は、どのように仕事を得たのか? 進駐軍の中にアメリカ時代の関係者がいたのか、クリスチャン関係の紹介か、通訳募集に応募して能力を認められたのか?そこのプロセスが知りたいです。 「終わりの思い」に立ち帰ると、 利雄は、戦争に加担したことの自責と、公職追放の噂に追い詰められる。 ヨ子とGHQが新しい水路部の部長の席を用意したが日本政府の横槍で潰れた。 ヨ子、GHQで活躍していた雰囲気ではありませんか。 母は子供を飢えさせるわけにはいかず、割り切って働く。 軍人の利雄のように葛藤しているヒマはない、とみました。
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通り雨
at 2021-11-09 20:10
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ご無沙汰しております。通り雨です。
まつの緑様のご紹介にあった「武士の娘」千代野の夫は福澤諭吉の孫とのこと。 立教女学院のチャプレンでいらっしゃいました福澤先生は諭吉の曾孫でした。 不思議なのは福澤先生と輝雄先生は女学院で出会われたのではなく秋吉家が杉並に移られてからの(輝雄先生が幼少時よりの)家族ぐるみのお付き合いだったそうです。 福澤先生の方が年長で輝雄先生やご家族を愛称で(秋吉家のみで使われていた)呼ばれておりましたので その親しさが伺えます。 輝雄先生の逝去式も福澤先生を中心に行われました。 クリスチャンのネットワークは広く、その世界は思いの外狭いです。密接していると申しましょうか。 もしかしたらヨ子さんと千代野さんもお知り合いだったのかも知れないと思い一言コメントさせていただきました。
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hitujitonekoto at 2021-11-09 22:00
鮎子さん
まつの緑さん 通り雨さん コメントありがとうございます。 通り雨さんとの久しぶりの出会い、嬉しいです。 クリスチャンの世界が思いの外狭く密接している、というお話。 なるほど、この物語を読んでいても、随所にクリスチャン同士の偶然の出会いが書かれていて、世の中クリスチャンだらけなの!? と思うことがありました。^m^ そうではなくて、何かその仲間同士で出会える密接さがあるのですね。 類は呼んでしまう、というか、同じ志の者はどことなくわかってしまったりすることもあると思うし、やはりネットワークがあるのでしょうかね。 それにしても、来て書いていただいてほんとに嬉しく思います。 鮎子さん まつの緑さんも鮎子さんのコメントに同意してらっしゃいますが、 >戦後、2人の間の考え方の相違が目立つようになるというのなら、それもまた面白そう このご意見に羊は激しく同意します!! いや。正直今まで考えてもみませんでしたが、それは小説としては面白い。 そして、振り返ってみれば、ヨ子という自立した女性と利雄というクールな(自分なりに老成した考えのある)人との齟齬はありうることだと思えます。
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まつの緑
at 2021-11-10 00:11
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通り雨さま
杉本鉞子の次女千代野の夫は、清岡暎一。 母は、福沢諭吉の三女俊になります。 外孫なので福沢姓ではなく、教えてくださった曽孫の方とは親戚だけれど、違う家系でしょうか? ヨ子と千代野は知り合いだったかもしれませんね。戦前にアメリカに住んだことがある数少ない女性同士ですから。 千代野夫婦の家は白金で、ひょっとして同じ教会、なんてことも?
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通り雨
at 2021-11-10 20:40
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通り雨です。
温かくお迎えいただきまして 感謝申し上げます。 補足させていただきますとクリスチャン同士の密接した繋がりは 自ら行動した者のみがその行動で得られるのだと思っております。 それはどの職業でも同じなのでしょうが同業種間では異業種間よりもお知り合いになる機会が多い事と同じだと思います。 日本では どちらを向いてもクリスチャンと言う状況の欧米との差もあり際立つのかもしれませんが だからこそ行動力のある方達のお力があるからこそネットワークも広がるのだと感じております。 まつの緑様。 福澤先生が福澤家について詳しくお話しになられた覚えがございませんので、どちらの家系なのかは存じません。ですが、先生は多摩の福澤房・桃介夫妻と同じ区画にお墓がありますので おそらくは次女から繋がっているのではないかと考えられます。 三光教会。小説でも何度か出ておりましたし当時は白金にありましたから 千代野さんとヨ子さんの繋がりはそちらの可能性があるのではないかと想像しております。 鮎子(AT)様。 私のコメントで福永武彦のイメージが変わられたとのお話を拝読いたしました。 遅くなってしまい申し訳ありません。私のコメントに丁寧に向き合ってくださいました事 お礼申し上げます。
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hitujitonekoto at 2021-11-11 11:00
通り雨さん
>行動力のある方達のお力があるからこそネットワークも広がるのだと感じております。 うんうん。 まあほんと、どこの組織もそうなのでしょうが、そこを知的で周囲からも尊敬されている人が行動力をもってネットワークを開く、というのは大切なことですよね。 そう思うと最近は、知的でなくても周囲から顰蹙を買っていても、ソーシャルネットワークを通じて莫大なネットワークを開けてしまう。 でも、最後に生き残るのはやはり真に知的で尊敬できる行動力のある人の力だと信じたいです。
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ヤシマ
at 2021-11-11 18:05
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なんか、書類の処分を拒否して「アンタは偉いっ!」て気分にはならない・・・
そもそも戦時中は軍属として戦争を推進する立場だった(「水路部」は軍じゃないと言ったって立派な海軍) それが崩壊したから逆らっても罰は受けない。天皇もああ言ってるし・・・ そういう小賢しさがどうしても透けて見えてしまう。 俺って人格が貧しい?? ところで瀬戸内寂聴さんが亡くなりましたネ。 朝日で時々載っていた「残された日々」はたまに読む程度だったけど。 こうなってみると、キチンと読んでおくんだったナー。
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hitujitonekoto at 2021-11-12 15:42
ヤシマさん
>天皇もああ言ってるし・・・ そういう小賢しさがどうしても透けて見えてしまう。 俺って人格が貧しい?? いいえ(^^) よくわかりますよ。羊なんぞ、天皇が即興であんなに理路整然と感動的に言ったはずはない。かなり言い方変えてるやろ? と思ってますもん。誰もそのことで茶々を入れられない近さで話をしてますからね。で、何でそうしたのか、というとその言葉を利用したのは明白。 別に悪用したと言いたいわけではなく、ありがちなことで、そのこと自体がいいの悪いの言うつもりはありませんが、「小賢しい」と言われればそうかもしれない、と笑う。 瀬戸内氏の死去は驚きました。 あんなに高齢であっちこっち悪いと言っていたので、こんな日が遠いはずはないのに、それでもずっと生きて言いたい放題を楽しませてくれる、となぜか思ってました。 (嫌われていた安部元総理以外は)みんな寂しい気持ちなのではないでしょうか。
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