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また会う日まで
作 池澤夏樹 これまでのあらすじ 1~150話 (要約:羊の勝手なまとめです) 301話 潜水艦とスカーレット・オハラ7 潜水艦による重力測定、水路部では私が担当になった、というと潜るのが上手だから? とヨ子がおどける。 帝大で物理を修めたからだ、と真面目に答える。 船は浮かぶのになぜ潜水艦が沈むのか、と問うので、沈むのではなく潜る、と訂正してから比重を変えて潜るしくみを少し説明する。 敵艦に向けて魚雷を放つ時には乗らないでくれ、とヨ子がいうので、戦闘では役に立たないのでそれはない、と私。 純粋科学は万民のもので、応用科学は機密。水路部は両方にまたがっている。 302話 潜水艦とスカーレット・オハラ8 1934年10月、我々は第六潜水隊呂号潜水艦に(マイネス式)重力計などの器械を搬入。 呂号…日本海軍は潜水艦を大きさ順に番号で呼ぶならわし(伊号~)だ。 平たい艦橋の頂にある吹きさらしの観望には、当直者がいて下とは伝声管でつながっている。艦内へは円筒形の通路から梯子、または手すりで滑り降りる。 降りたところが発令所。ここで操舵や潜望鏡の操作を行う。 潜望鏡の上部には対物レンズと接眼レンズがあり、360度の状況を探れる。万一敵の駆逐艦などが見えたら潜望鏡をひっこめて潜航。 聴音機で所在を知られてはならないので、一切の音出しが禁止される。 主たる武器は魚雷で、敵をいきなり襲う。ドイツはUポート(Uはウンターゼー)と呼ばれる潜水艦で、商船を多く沈めた。 そういうことを常識で知っていて、何度か乗ったことがある私だが、今回のような重大な任務は初めてだ。 303話 潜水艦とスカーレット・オハラ9 マイネス式の重力計を潜水艦床面に固定する作業に立ち会ったあと、10月15日、松山教授らと相模湾に向かう。 あさってからは外洋に出て五日間日本海溝に沿って北進し、14か所で重力を測定するのだが、この日は試行だ。 潜航までは艦橋にいるようにと艦長から言われる。中は狭いし体臭と便所の匂いが艦内に残っていて臭い。戦時の潜航の大変さに同情する。 問題なく試行を終える。信頼できる重力加速度の数値が二つ得られたし、機器の信頼度も確認できた。 304話 潜水艦とスカーレット・オハラ10 潜水艦の中は狭いだけでなく行き来が面倒くさい。 艦内は多くの防水区画に分けられていて、その境界ごとに鉄の防水扉がある。 この扉は爆雷にやられた時のダメージを全体に及ぼさないためのものだが、この敷居が2,30センチあるのをまたいで渡らなければならない。 わたしたちは25地点で27回の計測を行ったが、学者たちは船酔いに苦しみ、閉塞感が辛かった。 松山博士はこの計測で日本海溝周辺に負の重力異常があることを発見した。 私も誇らしかった。科学とはまずもって数値なのだ。 305話 潜水艦とスカーレット・オハラ11 昭和十一年の初め、嬉しいことにヨ子妊娠。出産の予定は八月頃だということで天の恵みに二人で頭を垂れた。 国軍(陸軍)が叛乱を起こした。首相の岡田啓介は難を逃れ、侍従長の鈴木貫太郎さんは辛うじて一命を取り留めた。 条約派の二人だから喜ばしい。同じ海軍出身の内大臣斎藤実さんは殺された。 海軍がこれに対してすぐに鎮圧に動き、連合艦隊は第一艦隊を速やかに東京湾内に送り、海軍陸戦隊四個大隊を芝浦埠頭に上陸させた上、御召艦「比叡」を用意して、首都が戦火に包まれた場合は天皇陛下を安全な地へ運ぶ策を立てていた、とMから後に聞いた。 ことはそこまでひっ迫していたのだ。 306話 潜水艦とスカーレット・オハラ12 その年の八月、ヨ子は無事に男子を出産した。妹や前妻の命を奪った出産は統計を踏まえると不運な偶然だ、とわかってはいても、安産が嬉しい。 ヨ子は母性に徹し、育児に専念するが、私たち夫婦は国の将来について論じたりする夫婦だ。 小国がアメリカやイギリスに歯向かって大丈夫か、というので、日本が勝つにはうっちゃり以外にないが、数字で判断すれば無責任に威勢のいいことはいえない。と私は答える。 307話 潜水艦とスカーレット・オハラ13 帝国議会議事堂が落成、というめでたい話も新聞に載っていた。 建物の中央部分が方錐形なので、「廟」のようだ、と私が言うと、縁起が悪いとヨ子にたしなめられた。 そこからヨ子がアメリカの議会のデモクラシーの話をしたので、日本も基本的には同じで、内閣は議会を無視できないはずだが、軍の叛乱が何度もあると、議事堂は廟になりかねない、と私は返した。 するとヨ子が岡倉天心の話をする。 ボストンに行った岡倉が正装の羽織袴で歩いていたら、すれ違った人から、「おまえはチャイニーズかジャパニーズかジャヴァニーズ(ジャワ人)か?」 と見下された。 そこで岡倉はこう返した。「おまえはヤンキーかドンキーかモンキーか」 308話 潜水艦とスカーレット・オハラ14 昭和11年の暮れ、わたしは大佐に昇進し。来春に天皇陛下が水路部に行幸なさると聞いて、その名誉に部員一同それぞれに襟を正した。 わたしは第四課の天文及び潮汐を掌理する部門の長として原稿を用意した。 行幸 御説明言上案 (第一室、天文 潮汐) まず天文関係のことを申し上げます。 日露戦争ころまでは、我が国艦船の航海歴には、このような(→陳列) 英国の学術暦を買い求めまして、そのままこれを使用しておりましたが、 戦時事変などの時、外国品を当てに致しますと差支えが起こる場合がある事を考慮しまして、 将来、ハ海軍自体で航海暦を編纂することに方針が定まりまして、 とりあえず第一着手として明治39年、初めて翌年分の海軍航海年表という日本艦船向きのものを出版致しました。 これがその原稿でございますが(→陳列) 天体の位置の部分は依然として外国暦の抜萃でございます。 その後、天文計算の調査と準備とを進めまして、大正8年、太陽の計算を当部の手で致すことになりましたのを手初めに、 段々と事業を拡げてまいりまして、遂に昭和9年の航海年表から、内容全部、外国品から独立いたしまして、当部で計算しましたものを使用することになり、ここに三十年来の希望が達成されたのでございます。(→) ただいまでは数年先の分を計算いたしております。 これらがその原稿でございます。(→) 外国では天文暦の計算には各国協定の上、手分けをして一部分ずつ計算をしております。 かように多くの計算を一ケ国で行っております国は他にないのでございます。 この原稿を取りまとめまして、これに日の出入、月の出入などの表を加えまして 夏頃までに翌年の航海年表を刊行いたしております。(→) 飛行機の天文航法のために航海年表を、もっと簡略にいたしましたところの航空年表を作っております。(→) 309話 潜水艦とスカーレット・オハラ15 (行幸準備原稿の続き) 次に、艦船の航海術上、天文学を応用いたしますについて、各国には種々便利な表ができておりますが、当部におきましては当部独特の表を独立出版して自給自足の実をあげております(陳列) これらの表と航海年表とをもって世界中、到る所の海面において船の位置を求めることができます。 このほか図表等をも出版いたしております(陳列) 次に潮汐関係のことを申し上げます。 日露戦争頃までは日本近海の潮汐も調査不充分でございまして、最初当部で航海年表を編纂しました時には、その一部分に不完全な潮汐表が載せてあるに過ぎませんでした。(陳列) が、段々と調査研究を進めまして昭和四年には独立した上下二巻の潮汐表に収めるほどの内容を持つことになりました。(陳列) 潮汐表の内容は主に各地の潮の干満の時刻及び潮の高さを予報したものでございます。 いかにして将来の潮を計算するかと申しまするに、まずもって、ある港で長期間観測しました潮汐の材料を当部において分解しまして、これを大小29の原因――分潮と申しております――に分け、これらをかような台帳に載せておきます。(陳列) 29のうち15だけが実用上に必要な分潮でございます。 次にこの分潮の値を基として、この器械を使用いたしますと、欲する日時の潮汐が求められるのでございます。 この器械は英国式の潮候推算器と申しまして、世界にあまりたくさんない器械でございます。 ここに15の歯車がございまして、これらの一つ一つが、ただいま申し上げました分潮、即ち潮汐を起こす主な15の原因を代表しているのでございます。 これらの歯車を適当に整えまして器械を発動致しますと(器械作動)潮の干満を起こす15の原因が重なりあいまして、単一の波形となってこの紙の上に描かれることになります。 今描いておりますのは、昭和16年の南洋トラツクの潮でございます。 一つの港の1ケ年分を約3時間で描くことができます。 310話 潜水艦とスカーレット・オハラ16 (行幸準備原稿の続き) 描き終りましたならば、これを外しまして適当な尺度を当て、干満の時刻、潮の高さを読み取ってこれを書き並べて表に致すのでございます。 この例は昭和15年のサンフランシスコの分デございます。(陳列) ただ今潮汐表は、毎年夏ごろまでに翌年の分を出版しておりますが(陳列)その内容につきましては(掛額)、上巻の区域で約千五百、下巻区域で千の港、すなわちほとんど津々浦々の潮の状況を知ることができます。 かようにして前もって計算しましたタ潮の値と、実際その日になって測った値はどのくらいに一致するかと申しますと通例時間で15分内外、高さで10センチ内外くらいの差異さること、やむをえません(横須賀、本年1月の例、陳列) 極端に違います場合には高さにおいて、かように違う場合もございます(室戸台風時東京港、南風連吹による例、陳列) 以上潮汐すなわち潮の上リ下リのことのみを申し上げましたが、これと同様に潮流、すなわち潮の流れの調査も致しておりまして、潮流の予報もこの器械で行なうことができまして、潮汐表のうちに載せております。 これは瀬戸内海の潮流の状況を調べましたもの(陳列)。 これは当部で調べました日本近海の潮汐材料を整理しまして学術上の目的のために発表いたしましたものでございます(陳列) 以上をもって御説明を終わります。 陛下が顔を上げて言われた。 「秋吉、なにか望みはあるか?」「はっ。海軍軍人である以上、せめて一度は艦を預かってみたいと思っております」 気がついたらわたしはそう発語していた。 311話 潜水艦とスカーレット・オハラ17 陛下は、海図を取ってこさせると、 それを前に言われた。「油壺の港で海生生物の採集に勤しんだ際、使ったのが相模湾の海図だ。あの湾の海底地形はすべて頭に入っているが海に出るごとに航路を書き込む」「水路部の業務は世の役に立つ大事な仕事だ。そして私は生物学の研究で何か業績を残したい。水路部は海軍に属するが、軍艦だけが海図を使うわけではない。むろん、戦時の用意ということもあるが、その日が来ない方が望ましい。 日常の艦の運用の役に立ち、国内だけでなく遠方の港での安全な入港のために海図の周到な準備は必須である。ローソップ島がいい例だな?」 「だからさ。秋吉はじめ水路部の面々はみな戦時ばかりでなく、むしろ平時のために必須のお国の部材なのだよ。それぞれの職責において優秀なのであるからして、逸ることなく陸地にあって、また海上にあって、力を発揮してもらいたい」 312話 潜水艦とスカーレット・オハラ18 1937年夏、ヨ子が女児を産み、直子と名付けた。 その年の秋のヨ子との雑談。 この国の偉い人は全知で政治をしているか、とヨ子が問う。母校に掲げられた標語には「凡そ真なること」とあるのだが、と。 ヨ子は 自分が最近読んだマーガレットミッチェルの小説Gone with the Windを出して、日本人はアメリカを何もわかっていない、と嘆く。 周囲の海軍軍人の妻たちが夫からの受け売りで、『アメリカ男は軟弱で女が威張っていて物事が決まらない』とか口にするという。 ヨ子にミッチェルの小説をを語ってもらう。 313話 潜水艦とスカーレット・オハラ19 主人公はスカーレット・オハラ。 ジョージア州の農家の娘で、綺麗で利口。自分の思うままに生きようと決めるがなかなかそうはいかない。 戦争や度重なる夫の死。その中で恋をしたレットという男と結ばれるがいろいろあって、幸福な結末にはならない。 主役四人の心の動きの面白さ。次々起こる事件。運命の変遷。しかしみんなが力を尽くして生きようとしている…… 314話 潜水艦とスカーレット・オハラ20 ヨ子(よね)の話の続き――大事なのはスカーレットの不屈の精神。挫けないし挫けても立ち上がる。 事業の才があり、製材所を経営し、民間の団体の役員になる。 日本なら明治維新の時期で、とてもこんな女性はいない。アメリカでも女は出るな、という考え方は主流だが、こういう女がいて、その才覚を利用しようという度量があった。 YWCAにはスカーレットほどの人はいなかったが、現大統領夫人のエレノアさんや、サンフランシスコで迎えてくれたレイチェルさんも元気で、私もこうなりたい、と思った。 日本で女が自分で車を運転する日までは何十年かかるでしょう。 315話 潜水艦とスカーレット・オハラ21 月日は巡り、1938年(昭和13年)文彦の兄の武彦が東京帝大の仏文科に入学。 わたしは有楽町の東日天文館にプラネタリウムを設置する事業に携わる。 1939年4月、三男輝雄誕生。同6月、わたしは学術研究会議会員(地球物理学科と天文学科)になる。 同8月、山本五十六海軍中将が第26代連合艦隊司令長官に就任。本人はこの人事を望んでいなかったが、三国同盟に強硬に反対した山本を暗殺者から守る措置だったらしい。 もしもあのまま次官でいたら、戦争は回避できたかもしれない、と私は今思う。 316話 潜水艦とスカーレット・オハラ22 一九四〇年(昭和十五年)の八月、わたしは水路部の仕事で台湾に出張した。 目的の仕事を終えたとき、当地の天体観測同好会から講演をたのまれて受けた。 「思索と幻とに充ちた大宇宙の科学こそは天文学の領域である。」と、文学的に始めた講演は、このあと、航海術の歴史や天体の運行、緯度・経度に関することなどを講じたものだ。 317話 潜水艦とスカーレット・オハラ23 1940年秋、わたしの講演内容を掲載した「南の星」の裏にあった広告は、「空襲」の文字や、会社のエンゼルマークよりも巨大な防毒マスクが描かれるなど、戦争前夜を彷彿とさせる不気味なものであった。 Mと飲むことになった。Mが言う。 日独伊三国同盟が締結されたこと。もはや後戻りのできない戦況になっていること。この三国は植民地を持てなかった国。対抗するのはイギリス、オランダ、フランス、アメリカなどの植民地を持った強国。 Mからわたしの考えを聞かれ、内村鑑三と同じ不戦、非戦だが、水路部の責務は果たす、と答えた。 318話 潜水艦とスカーレット・オハラ24 翌一九四一年の夏、わたしは連合艦隊司令官の山本五十六大将に呼ばれ、懐かしい江田島の兵学校にいた。 たいへんな緊張でこわばっている私に、わたしの履歴を読み上げて、海軍では変わり者だな、と言われる。 そして今日の目的を言われる。今年11月に真珠湾の潮汐のできるかぎり精密な数値が欲しい。…Mからも聞いていたが、やはり噂は本当だったのか。 それは完全に予想できる、と答える。月と太陽の運行が基本。それを補正する数値も、隣のホノルルが民間用の潮汐表を公開しているので、容易に得られる。 319話 潜水艦とスカーレット・オハラ25 それと、現地の者から聞く情報を描きこむ最新の海図がいる、と山本氏。 水深が大事ですね、というと、飛行機から投下後に規定深度に定位できるものが完成している、と言われる。 潮汐がいるのは二人乗りの小型潜水艦のためだそうだ。魚雷を二本搭載して敵に肉薄して攻撃するが、防潜網を外さなくても、満潮時にカッターで切って進んで敵の不意をつくことができるそうだ。 攻撃の後は座礁して上陸。捕虜にはなるだろうが、生還を期する、と山本氏。あのころは特攻という考えはなかったのだ。 320話 潜水艦とスカーレット・オハラ26 山本氏から夕食を誘われた。 陛下から親しく声をかけられたことで、名前を知り、ゲン担ぎだという。 年内にも国を挙げての大博打になるがなにせ相手は大きすぎるという。 かなう相手ではないが開戦は避けられない。緒戦を派手にするしかない、というので、同意する。 妻のことにも話が及び、現大統領の夫人に学費などを世話になったことを話す 321話 潜水艦とスカーレット・オハラ27 連合艦隊司令長官は淋しいという山本さんの言葉に、わたしはビーグル号の艦長とダーウィンの航海を思い出す。 山本さんが飲んでいるのは番茶だそうで、酒が強いのは米内光政。山本氏の三期先輩で連合艦隊司令長官から海軍大臣、総理大臣を経験している。 そこでわたしは、山本さんが新潟、米内さんが岩手、井上成美さんが宮城、と北の国から名将が出るわけを聞いた。 『白河以北一山百文』と蔑まれ、まともな出世の道が薩長閥で閉じらていた地だが、東北民はそれを逆手に意地を見せた。軍ならば成績次第で人の上に建てる、という。 日本人が思うような軟弱な国ではなく、不屈の精神があり「風と共に去りぬ」を読むのがいい、と妻から聞いた話を率直に語った。 322話 潜水艦とスカーレット・オハラ28 あの小説をほんとうに読むべきなのはアメリカ人が腰抜けだと信じている連中だが、その狂信と妄想の徒は理性的な判断を最初から放棄しているのだ。読むことは決してない。 山本さんが、キリスト教徒である私へのの水路部での待遇を心配する。瓜生さんと同じく妻が渡米していることもある。 少しずつ風当たりが強くなっている、と私は言う。 故瓜生氏は我々二人の大先輩。アメリカ留学してアメリカの海軍兵学校を卒業。その時の人脈が日米外交に生かされたし、日露戦争では司令官として巡洋艦に乗り、ロシア艦二隻を沈め最初の勝利を得ている。キリスト教信徒で奥方はもっと長くアメリカ生活をしていて、日本の西洋音楽教室の先駆者でもある。 323話 潜水艦とスカーレット・オハラ29 山本氏の話。 世の中や国はいろんな人間がいて成り立つ。その種類が多いほど底力が強くなる。アメリカの活力のもとはそれだ。 ヨーロッパでユダヤ人は嫌われているが、ハリウッド映画はユダヤ人で成り立っている。 日本でも違う種類の人間が必要だから、君のようなキリスト教徒は大事なんだ。 君を部内で守るように一筆書こう。 軍人の責務には戦術と戦略がある。戦略は大所高所から趨勢を見て方針を決める。 わたしは対米戦を避ける判断の場にいたかったが、米内さんから示されたのは連合艦隊「陸奥」にいることだった。 今は戦術に専念している。真珠湾だ。 2021年 7月 324話 緒戦とその後 1 339話 緒戦とその後 16 1941年9月、Mと築地の居酒屋で会う。 加来が空母『飛龍』の艦長になったという。 水路部は真珠湾の海図をたくさん用意して、潮汐表は準備中。陸軍の関東軍特殊演習も終わり、いよいよ山本氏が言っていた日が迫ってきた感じである。 戦術は自信があるが、戦略が心元ないと山本さんが言ったと伝える。 325話 緒戦とその後 2 開戦に向けて着々と進んでいる、とMが言う。水路部も海図を大量に艦や基地に配布したりして活気づいている。 山本さんはハワイでの戦闘に向けて雷撃訓練をしているし、零戦も天下無敵と言われているし、このまま戦争に突入しそうだ、とM。 乾坤一擲、いちかばちかか、と私が言うと、乾坤=全世界を賭けた勝負は一投げでは終わらないから問題だ。英米を敵にして戦える日本海軍ではない、という。 開戦となると引き分けでも勝ったと思い込んだ日露戦争のように輿論は動いていく、とMがいう。Mの冷静にものを見られるわけを聞くと、大臣官房海軍文庫に身を置いて広く見、いずれ歴史を書きたい、という。 326話 緒戦とその後 3 「ハワイ・比島に赫々の大戦果 米海軍に致命的大鉄槌 戦艦六隻を轟沈 大破す」 新聞の見出しだ。これで戦争が始まってしまった。始めてしまった。この大戦果に高揚感を覚えた。 新聞はさらに天皇陛下の詔書を載せていた。アメリカ、イギリスに闘いを宣言する、と。 327話 緒戦とその後 4 誰が書いたか、詔書は難しい漢語を散りばめてありがたい文章になっているので、国民は頭を垂れてこれを謹聴するだろう。 牧師の言葉も難しい漢語が多いが、どこが違うかというと、神と主の違いで、わたしの信は主だ。 わたしは帝国海軍の軍人でもあるので、これからは難しいことになる。 神のものは神に、カイザルのものはカイザルに、の分別が問題だ。 真珠湾で勝ったために引っ込みがつかなくなった戦争の終結の形が見えない。 しかし、国民はアメリカがいずれ負けるだろうと素朴に信じている。 328話 緒戦とその後 5 開戦から三週間、ヨ子が予定日よりは早いがそろそろかも、というので出勤の途中でトヨと女中の糸を聖路加病院に降ろす。 夕方、電話で看護婦長から告げられた。 安産であること、男と女の双子であること! 329話 緒戦とその後 6 双子は宣雄と紀子と命名。 真珠湾では敵の戦艦を何隻も撃沈、大破させたということで世間は緒戦の勝利に酔いしれていた。 水路部が用意した潮汐表を用いた特殊潜航艇も、戦艦一隻を轟沈。我々の努力は報われた。 ただし潜航艇の五隻は帰還していないが…。 他の戦域では真珠湾の二日後にマレー沖で英海軍の戦艦を航空兵力だけで沈めた。 皇軍が占領した都市―― 香港 マニラ クアラルンプール ラバウル パレンバンに落下傘部隊 シンガポール バタビア ラングーン しかし四月半ば、帝都をはじめ五つの都市の上空でBー25、ミッチェルが爆弾を投下。 被害は軽微だが、大きな飛行機を見逃したことで軍の面目は丸つぶれだ。 330話 緒戦とその後 7 春になっても世間は浮かれていて、ルーズベルト大統領を揶揄する歌もラジオから流れる。 ヨネはその夜、ここだけの話、と言いながらこんなことを言う。 米軍機の爆撃、わたしは嬉しかった。アメリカ人は腰抜けなんて誰が言えますか 居酒屋で会ったMが言う。 軍部の発表が信用できない。珊瑚海海戦は、実は互角なのに、大勝利だと言って世間を浮き立たせている。航空機軽視もひどい。 331話 緒戦とその後 8 世間も軍も真珠湾の勝利に酔い、勝機を掴んで深追いしなかった、と井上さんを不当に非難する声がある、とMが言う。 冷静に考えると引き分けだし、昼寝している仁王の足に五寸釘を打ち込んだだけ、というMの話に私は同調しながら、沈着な自分たちは海軍に向いてないのでは、という気持ちになった。 しかしMは、軍艦における推進機関と舵の、舵の方に我々をたとえ、針路を決めるのは舵で、主機ではないのだ、という。なるほど。 Mが戦史を担当しているのはおそらくMが、遠い先まで見ようとしているからだろう。 この先、日本の航路を決めるのは、時々の熱血ではなく沈着なんだろう。それは井上、米内、鈴木…そして陛下。 最終的にどうなるか? のわたしの問にMは口をつぐんだ。 332話 緒戦とその後 9 昭和17年6月、Mから電話で飲みに誘われた。 行くとMは一人で酒を飲みながら「加来が死んだ」と私に告げた。「飛龍」の艦長だった加来は、ミッドウェイの海戦で沈む艦から降りなかったのだという。 Mはミッドウェーが四隻の空母と搭載機と戦闘員を失う、日本の大敗北であることを教えてくれた。 二人で黙って杯を上げた。兵学校の盟友への献杯だ。 333話 緒戦とその後 10 わたしはこれまでいくつもの死に立ち会ってきた。中でもトヨとチヨの死がとりわけ辛かった。 しかし加来の死の辛さは種類が違う。 そもそも軍人は戦場で死ぬことが織り込みずみ。加来は敗軍の将として帰国する屈辱より、死を選んだ。 潔いと言われる死だが、日本は加来の能力と体験を失い、本人は後半生を失った。 Mが言う。最後まで加来の艦の『飛龍』は闘った。それは従来の戦艦同士の砲撃戦ではなく、偵察機を飛ばすところから始まり、相手の作戦を読んで規模と戦闘作戦を探りあう。今の戦争はポーカーのようなもの。 日本はミッドウェー島を占領して敵艦隊を誘い出すのが目的だったが、米国は大艦隊で臨んだ。島の基地からの航空兵力もあり、日本はすべて裏目に出る勝負になった。 それをすべて『飛龍』は逃れ、最後まで戦って他の沈んだ空母の艦載機を収容したが……結局は沈んだ。 334話 緒戦とその後 11 加来は操舵室にいて、下から水が迫るのを静かに待ったに違いないと私とMは語り合った。 しばらくして、珊瑚海の教訓がまったく生かされなかったことが問題なのだ、とMは口調を変えて言った。 軍司令部は井上茂美の怯懦を敗因とする空気だったが、作戦戦訓研究会を開いていれば、空母と陸上基地などの連携の悪さや敵の急降下爆弾の威力もわかり、ミッドウェイでも対策が取れたはずだ、と。 要するに科学的ではなかった。主観と感情を廃すること。 大衆や新聞と海軍の幹部の違いはそこにあったはずだ。 335話 緒戦とその後 12 初秋になって、わたしとMは加来宅へ弔問に行った。時間をおいたのは、他の客と会うのを避けたかったからだ。 初めて会う加来夫人の花子さんは楚々として静かな感じの人だった。 わたしたちのことは加来からよく聞いていた、と言う。同期の中では一番の非戦派だが、二人の話にはうなずくことが多かった、と加来は言っていたそうだ。 南方から届いた手紙の中に俳句があった、と見せてくれた。 つはものの 疲れ勑ふ 月夜哉 心情の出過ぎる短歌よりさっぱりした俳句を選んだのは加来らしい、とMが言う。 336話 緒戦とその後 13 戦争はよいことではないが、人と国は、富と領土と覇権を求めて、あるいはそれを奪われないようにと言って戦う。 旧約聖書には戦争の話が多く、戦争は避けられない。国にとって軍は盾であり、矛だ。 主イエスの誕生時、天使が現れて「地には平和を」と言われ、私たちはそう歌うが、戦争はなくならなかった。 主イエスが現れてわたしたちは信仰を与えられたはずなのに、その後の歴史には数知れぬ戦争が刻まれたばかりか、時にキリスト教徒は信仰を広めるための戦争を口にし、宗派間の戦いもあり、そして今、日本は戦争のただ中にいる。 日曜日の礼拝で何を祈るか問われ「戦争が終わることを」と言った。 「主はどんな形にせよ争いを止めることを望んでおられる」 337話 緒戦とその後 14 加来の亡くなった4か月後の10月に息子の文彦が亡くなった。 文彦は立教の本科にいたが、体調不良で家で療養したのち、聖路加に移っていた。 わたしは仕事の激務で付き添えない。ヨ子も6人の子の世話で動きが取れない。看病していたのは兄の武彦だ。 武彦は、東京帝国大学文学部仏文科を卒業後、兵役回避のために参謀本部で暗号解読をしていた。 ある日、武彦が職場に来て、文彦の容態がよくないという。 その数日後、急変した。三光教会の師から最後の秘蹟を与えてもらった。 338話 緒戦とその後 15 文彦と武彦が一緒にくらしたのは文彦が乳児だった頃からの二年。その時二人は我が家で一緒に暮らしていたが、やがて文彦は私たちの養子になり、武彦は父親と共に我が家から出て、日本少年寮に預けられて住むことになった。 文彦が実の父と兄に教会で会うのは年数回だったが、幼い文彦はそんなものだと境遇を受け入れたのだろう。 そして文彦が7歳のとき、チヨが死んだのだ。それからしばらくはいつまでも明けない夜のような気分だった。 文彦に「チヨノハル」と書初めの指導をした13日後にチヨは亡くなった。 実の子である文彦を17歳で亡くした末次郎はどれだけ落胆することだろう。末次郎は主への思いを失っていたから、主によって、息子は奪われた、と感じるかもしれない。 末次郎は手元に置いた武彦が大学を出るまでは再婚しない、と言明していた。 後の武彦の詩集巻頭 「若く死んだ人たちに」 ふるさとへ帰りし人や冬の蝶 340話 緒戦とその後 17 信徒は戦争にいかなる姿勢を取るべきか。今まで非戦論者であることと海軍軍人であることは矛盾しないと思っていた。 戦争への準備をした上で、戦争にならないように努めるのだ。 …しかし、軍は攻撃は最大の防御と考え、やがて開戦された。 内村鑑三は非戦論者・平和主義者として開戦を避けるよう精一杯訴えるが徴兵を忌避しなかった。なぜなら誰かが代わりになるからだ。 他人の罪の償いとして平和主義者は身を捧げるのだ。 だからわたしは軍人として励めばよい。海図がどう使われようと、信仰の外にある問題だ。 内村は国家を論ぜず、個人の魂と主との中に終始し、いっぽう、新渡戸稲造は半端に国家に関わって指弾された。」 それも信徒として勇敢だったとも思うのだ。 341話 緒戦とその後 18 港を出た船がどこかの港に着くために必要な海図の用意は水路部の主務。 自船の位置を知るのに必要な、天体の高度を読んでからの計算を簡単にする「天測歴」も水路部が編纂している。 飛行機もしかりだが、飛行機では水平線が雲で見えないことが多いので、気泡六分儀を使う。算出の迅速さのために航法計算盤の精度向上がわたしの仕事になった時期がある。 帰路のためにも六分儀と計算尺に生命がかかっているのだ。 342話 緒戦とその後 19 わたしは海軍軍人。海軍の主体は軍艦。 いくつもの艦に乗務して、艦のことなら肌身でわかるが、 飛行機はわからない。 飛行機は速い。駆逐艦は40ノットが限界だが、零式艦上戦闘機は300ノットに及ぶ。更に攻撃力。機動性。 任務を帯びて飛び立って、それを終えて数時間で戻る。制限するものは燃料と航法。 その航法の支援のためにわたしたちは航法計算盤を改良した。 飛行機は短期に多く生産して戦場に供することができるので国力の差が出る。 343話 緒戦とその後 20 艦の速度のおもしろ話。わたしも乗務したことがある海防艦「浅間」は、1923年に青島にいた際に関東大震災が起こる。そこで救援のために東京へ向かうが古い艦なので高知の沖で戦艦「長門」に追いつかれ、追い抜かれてしまう。 浅間の司令官がは電報を打たせた。「貴艦速力何ノットナリヤ?」 軍艦は性能秘匿のため普通は最大速度は出さないので、これは少し嫌みだ。 で、その後「長門」は英国海軍の巡洋艦ディスパッチを後に見て速度を落としたが、英艦は司令官の名を聞いてきた。提督の名前にKCBと付けて、イギリスの勲章をもらったことがあることを誇示すると、ディスパッチは17発の礼砲を打った。「長門」も返礼したうえでフランス語で「お先にどうぞ」と伝えた。 344話 緒戦とその後 21 1942年の秋、いつもの居酒屋でMと話す。 日本軍の拠点があるラバウルから東へいくとソロモン群島があるが、その海戦の勝利は本当らしい。 日本はまず群島の中でも格別大きいガダルカナルを占拠して滑走路を作ったが、アメリカはオーストラリアとの航行を妨害されることを危惧。自分たちも基地を作るべく、輸送船団と上陸部隊を送ったのがソロモン海戦の始まり。 上陸したのは海兵隊らしいが、これは我が国の海軍陸戦隊よりずっと規模が大きく、日本の航空機による最初の攻撃は失敗。 後から第八艦隊が小さな島の間の海峡に突入。輸送船団の所へ行く前に敵の護衛艦隊に遭遇した… 345話 緒戦とその後 22 Mが言う。 我が第八艦隊はガダルカナル島とサボ島の間で敵の艦隊と遭遇し夜戦になった。 まずは闇の中に立って目を慣らす。ガ島の場合は前の方にいるのはみな敵だ。探照灯で照らして撃ったり、敵艦の向こう側に偵察機から吊光弾という照明弾を落として、シルエットを狙って撃つ。 アメリカ海軍だけでなくイギリスの艦もいたらしいが、雷撃と砲撃で重巡四隻を撃沈し、他にも何隻か手ごたえがあった。 だがガ島の輸送船団に対しては再度の攻撃はしなかった。敵の空母がいることを恐れたのだ。こちらには飛行機がない。 ラバウルは遠く、零戦が来ても現場での空中戦は十五分が限度。なによりミッドウェーで負けていたから及び腰だった。 海戦はポーカーのようなものだ。互いに疑心暗鬼になるし臆病にもなる。 346話 緒戦とその後 23 翌朝、第八艦隊は意気揚々と帰路に就き、九日の朝、艦隊は三隊に分かれ、重巡『加古』を含む四隻は、ニューアイルランド島のカビエンを目指した。 万全の態勢だと信じきり、速度も遅くして直進しているといきなり魚雷が『加古』に命中。計三発くらって沈んだ。 650名は他の艦に移乗できたが、68名が沈んだ。 347話 緒戦とその後 24 ガ島への物資輸送を阻止できず、アメリカは日本が造っていた飛行場を手に入れた。 そこで陸軍部隊を送り込んで奪回する作戦を立てた。18日、先遣隊の揚陸に成功したが、返り討ちに遭った。米軍は飛行場を完成させていた。こちらは支援のため空母『翔鶴』、『瑞鶴』、『龍驤』に駆逐艦を何隻も同行させて送り出し、『陸奥』や『大和』まで出すつもりだったが甘かった。 渡河作戦で八百名を失ってほぼ壊滅、撤収した。 その後の海戦でもぜんたいとしては負けで、輸送船団を送ることができなくなった。 ガ島の規模では食料の供給もできず、陸軍の兵隊は今も飢えているだろう。 日本には資金が不足している。ポーカーゲームとしての札を支配しているのは神なのか? とMが言った。 348話 緒戦とその後 25 わたしは明け方よく悪夢を見るようになった。 夢の中でわたしは加来止男だった。そして沈みゆく空母「飛龍」の操舵室の中にいる。 この艦の艦長であったのはわずか9か月だったが、わたしはこの艦を愛した。前日に敵機の攻撃で損傷、夜になって航行不能と判断し、乗員を僚艦に移し、味方の駆逐艦の魚雷で自沈する。 退艦する部下たちに両手首を舵輪に結んでもらった。この艦との一体感を味わうのだ。 そしてわたしは水が来るのを待っている。 349話 緒戦とその後 26 かつて聖職者だけのものだった聖書をマルチン・ルターが信徒のために普及した。 神父や聖者や聖母マリアにすがらなくてもいい。まっすぐ自ら神と主イエスに対面せよ! わたしは最近『新約聖書』の「黙示録」を読んでいる。 これは怖ろしい。世界が滅びる寸前まで行って辛うじて救われる。 人が悪事から手を引かないのなら一度人類に終末を迎えさせてから神が作り直す。その破壊の具体的な様相が執拗に語られるのだ。 そして終末の封印は仔羊で解かれる。 350話 緒戦とその後 27 ヨハネの「黙示録」 神は七つの角と七つの目のある仔羊に七つの封印を解かせた。 第一の封印を開くと白い馬が現れる。「之に乗るもの弓を持ち、かつ冠冕を与へられ、勝ちて復勝たんとて出でゆけり」 第二の封印からは赤い馬。「これに乗るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる剣を与へられたり」 第三の封印からは黒い馬。これは飢餓の予兆か。 第四の封印は青ざめた馬。「之に乗る者の名を死といひ、陰府これに随ふ。かれらは地の四分の一を支配し、剣と饑饉と死と地の獣とをもて人を殺すことを許されたり」 こうして封印が解かれ、世界が災厄に満ちると、ラッパを持った七人の天使が登場し、ラッパが吹かれると、地は焼け、海は死に、川の水は毒となり、光が失われる。 そして鷲が告げる。「地に住める者どもは禍害(わざはひ)なるかな、禍害なるかな、禍害なるかな」 これは今のことかとわたしはおののく。 351話 緒戦とその後 28 第五の天使がラッパを吹くと、一つの星が地に落ちてきて、底のない穴を鍵で開けた。 すると、煙の中から蠍の力を持った蝗(イナゴ)出てきて、「額に神の印のなき人」だけを襲いだした。 その人々には5か月間、蠍に刺されるような苦しみが続くが、死ぬことを希望しても死は許されない。 蝗は馬のようで、頭には金の冠、獅子の歯を持ち、鉄のような胸当てがあり、翼の音は軍車のような轟音を立て、尾には蠍のような刺があって、人を襲う。 この蝗の王がヘブル語でアバドン、ギリシャ語でアポルオン。 1900年前に書かれたこれが何を意味するのか私は考えた。 関東大震災を知っているが、地震については火山との関係でいずれ科学がその仕組みを明らかにするだろう。 だとしたら疫病が神の手配かもしれない。 その時がきたら、わたしや家族は「額に神の印なき人」なのだろうか。 352話 緒戦とその後 29 ヨハネは幻を見ている。 彼が語る未来は人間たちの悪行と受難に満ちている。 人間を滅ぼすのには、多種多様な災厄の連鎖だとヨハネは言い、それは戦争に似ている。 「黙示録」は次から次へと怖ろしい絵が開示される紙芝居に似ているが、物語全体の流れが見えにくい。 神が7人の天使に憤怒の鉢を下界へ注ぐように命じ、鉢が海に注がれたことで、海は死人の血の如くなって海の生物が死んだ… 私は戦慄し、文彦の言葉を思い出した。 シェークスピアの「マクベス」だ。 王を殺したマクベスが自分の血まみれの手を見て言う。「ネプチューンの大洋の水を傾けても、この手を浄めることはできまい。いやいや、あの限りのない碧い波が、かえって真っ赤になっちまうだろう」 353話 緒戦とその後 30 日曜学校の生徒から鋭い質問を受けたことがある。 「神さまはなんでもご存じでどんなことでもおできになるのに、どうして悪魔をやっつけてしまわないんですか?」 「神が最後に作り、神ご自身と獣たちの間にある人間は、この世界がちゃんと動いてゆくように手を貸すことを命じられた。 そのためには善悪を区別して自分で選ばなければならないが、そこに悪魔が付け入る隙がある。 神さまと主イエスはそれを見ていてくださるんだ」 それならなぜ今は戦争なのか? 加来が最後に見た海は真っ赤だったのではないか? 2021年8月 《アメリカとの戦争が始まった。緒戦は大戦果を収めたものの、ミッドウェー海戦では、海軍兵学校の同期、加来止男が空母「飛龍と共に散った。その4カ月後、息子の文彦が17歳で天に召された。わたしは悪夢を見るようになった。》 354話 戦争の日常1 真珠湾では勝ったが、ミッドウエイでは敗北し、加来を失い、日米の海戦の多くで我が海軍は敗れ、配色が濃くなった。 敗れたのは、物量の差と、失敗から学ぶ姿勢の欠如のためだ。 昨日、サイパン陥落について東條首相の談話が発表された。 「今こそ、敵を撃滅して、勝を決するの絶好の機会。皇国護持のため、我々の進むべき途は唯一つ。心中一片の妄想なく、眼中一介の死生なく、幾多の戦友並びに同胞の鮮血によつて得たる戦訓を活かし、全力を挙げて、速かに敵を撃摧し、勝利を獲得するばかり」 何を言っているのだ? それより愛国行進曲の替え歌だ。 見よ東條の、はげ頭 旭日高く、はげ頭 天地の正気、はげ頭 希望は躍る、はげ頭 355話 戦争の日常2 国民生活の「非常時」はいつまでたっても終わらない。 海軍の二つの派閥の一つで決戦に突き進もうという艦隊派の人たちには、この国の備蓄する燃料と弾薬と兵員の数はわかっていたのだろうか。 平時ではないと国が宣言したのは開戦の三年前だが、実は戦争は事変という名でずっと前に大陸で始まっていた。 1937年の「討匪行」という歌にある泥濘はずっと続いていたのだ。 1939年の秋から興亜奉公日が始まり、毎月一日には宮城遥拝、一汁一菜、日の丸弁当、そして勤労奉仕が奨励され、普通の人々はこの国の空気が濁ってきたことを察知していた。 金鵄あがって十五銭、栄えある光三十銭、朝日は昇って四十五銭、紀元は二千六百年、あゝ一億の金は減る 金鵄も光も朝日も煙草のことで、元の歌は皇紀二千六百年を言祝ぐもの。 一昨年の暮れに発表された標語は、「欲しがりません勝つまでは」 356話 戦争の日常3 サイパンを守ることができず、兵士や島民が戦死した。 絶対国防圏構想だとか称して、死守すべき範囲を示したが、死んでも守れなかった場合のことは想定されていないのだ。 サイパンを失っても終戦だという人がなく、人々が死んでゆく。 上からくる標語が、中身のない大言壮語の標語だと国民は知っている。 だから「ぜいたくは敵だ」と言われれば「ぜいたくは素敵だ」とやりかえし、工夫が足らぬのではなく、夫が足りない、工夫(こうふ)が足りない、という。 「欲しがりません、勝つまでは」と言われても、その日は来そうもない。 357話 戦争の日常 4 水路部第四課長であるわたしの、この数年の職務は艦船ならびに航空機が自分の位置を知る方法の改善・正確化と迅速化。その中での主務は航海術である。 職務に没頭していると、崩れゆく世情のことを忘れられる。主イエスの思い同様、数字は嘘をつかないし、天体の動きも人間の意図に左右されない。 我々は北極星の一度弱のずれを問題にするが、19C前半に、アメリカの船乗りが「位置の線」と呼ばれる、経度を知る方法を発見した。 その後、フランスの海軍軍人がこの方法を改善し、今は無線による方法が加わった。 358話 戦争の日常 5 電信は今世紀、艦船に導入されたが、そのうち無線が開発され、無線電信・無線電話が世界に広まり、ラジオ放送が日常化した。 これを航法に使えば二つの発信局の方位から自分の位置を知れるはずだが、地球は真の球体ではない。計算通りにいかず補正がいる。 この補正の図表や器具をわたしたちは用意した。 無線機器は原理的にはラジオと同じだが、艦船・航空機用では高い信頼性が要求される。 359話 戦争の日常 6 1940年9月、わたしは「航海術上より見たる無線及天体方位に関する諸種の問題」という論を「水交社記事別冊」という形で刊行した。 専門的な内容の印刷物で、無線方位による艦位決定法とその誤差を論じている。 ここで東京湾と桑港の間の距離を例にとったのは、わたしの郷愁だったかもしれない。あの港の入り口に金門橋という長大な吊り橋がかかったことをいつか記事で読んだ。 大型の爆撃機・陸上攻撃機や偵察機のみならず零戦にさえ無線帰投方位測定器が装備されたことは嬉しかった。 行きは自力で行くが帰路は電波に導かれて母艦に戻れる。まさに母なる艦だ。 わたしを主イエスに導く装置はあるのか? 道を誤っていると耳元で囁いてくれる天使はいるのか? 人が生きる道に到達はない。大事なのは方位だ。 人が生きる道に到達はない。……そうかもしれない。 360話 戦争の日常 7 「航空母艦」という日本の呼称をわたしは好きだ。 前方にいなくても、振り返ってそこにいることで、安心して子どもたちが前へ踏み出していかれるような存在、母。 出撃した艦載艦が任務を終えれば戻れるのが母艦。 だが、ミッドウェーで飛び立った子どもたちが傷ついて帰っても母はいなかった。一部を迎えた「飛龍」も加来と共に沈んだ。 わたしの身辺も、子と母が死別することが多かった。 末の双子の片割れ、宣雄も肺炎で亡くなったのだ。 361話 戦争の日常 8 1943年4月の末、宣雄の野辺送りを済ませた数日後にMと築地の居酒屋で会った。 居酒屋で飲んでいても、もう食べ物もいろいろとなくなってきていているのを実感する。 Mは山本五十六さんが亡くなった、と言う。 十日ほど前にブーゲンヴィル島で攻撃機に乗り込んだ時に米国の戦闘機隊に撃墜されたという。 由々しきことに、待ち伏せされたのは、暗号が解読されていたのかもしれない。 362話 戦争の日常 9 居酒屋の女将が、加来の戦死を悼んで持ってきてくれた三合目の酒をMとかみしめるように飲む。 先の見えない戦争、なぜ開戦したのかとMに愚痴る。 結局勇ましい意見に圧されて、直言するものの意見は押伏せられるのだ。 食料の配給が半分になると国民は戦意を喪失し総崩れになる、と第一次大戦でのドイツの記録があるというが、軍は強引に国内生産から食料を調達し、我々は特配にあずかっている。 後ろめたいが待っている子がいる…。 加来と山本五十六さんへの献杯をする我々だ。 363話 戦争の日常 10 井上成美さんが海を越えての食糧輸送は不可能だと言っていた。 船は沈められれば終わり。日本とイギリスは海上封鎖が可能だが、アメリカはどうだ。 あの大国を封鎖することは不可能だし、広大な農地からの食料の自給が容易で資源も豊富、工業力もある。 だから対米戦は原理的に不可能なのだ。 364話 戦争の日常 11 井上成美さんが昭和16年ころに海軍の改革案を作ったが、これからの主役は航空機だというのは当たっている、とMが言う。 航空母艦には機動性があるが、脆弱なので陸上の基地=島と組み合わせる。 いずれは島の基地の奪い合いとなる。戦艦の出番はない。 海上輸送路の保持と潜水艦部隊の充実、と井上さんは言った。 変わっていく事態に応じて体制を変革できるかどうかで日本の運命も決まる。 365話 戦争の日常12 ) 井上さんが居れば開戦はなかった、とMが言う。 島の取り合いは取った島=駒が使えるという点で将棋に似ていてチェスとは違う、などと話す。 航空機には搭乗員が必要なので、予科練では大量に育成し、未熟なまま戦場に送られているようだという話のあと、江田島の兵学校の井上校長の話をする。 意気軒昂で陣頭指揮で校内の空気を刷新している、と。 366話 戦争の日常 13 聞いた話だと、江田島の海軍兵学校の校長になった井上さんは、東郷平八郎以外の歴代の海軍大将の肖像写真を片付けさせたという。 大将崇拝は出世主義を煽るし、中には国賊がいる、という理由だ。軍人はそれぞれの持ち場で任務を果たせばいいという。 そして、世界の公用語だからと英語教育に力を入れた。生徒全員に英語を英語のまま理解せよ、と英英辞典を配布し、世界と宇宙を理解する手段として数学にも力を入れた。 戦後の世界で若者たちを生きてゆかせるための深謀遠慮かもしれない、とMが言う。 367話 戦争の日常 14 英英辞典を配った話にわたしは感銘を受けた。 辞書をひいて説明される英文の中にわからない単語があれば、次々とまた辞書を引くことで、ようやく一つの単語の理解にたどりつく。 その余計な努力が英語という言語と文化を根幹から身につけることであり、一つの単語の対応で語学が説明できると思う安直さ=官僚向きの考えを排することになる。 言葉の裏には実質と本質があるのだ。 わたしは三角法を英語の本で自習したが、数学のユニヴァーサル的なものを英語で学ぶことで普遍化したと思っている。 自分自身を狭い領域から解放してくれるもの。それは語学であり科学であり、信仰なのだ。 368話 戦争の日常 15 わたしは肺が弱く、たびたび静養のために仕事を休んだ。 文彦の病も結核だったので、体質かもしれない。 46歳の夏には肺浸潤(肺結核の初期)と診断されて三週間の加療後に、聖公会系の施設「榛名荘」でひと夏を過ごした。 50歳でまた発病したわたしは、加療後にまた榛名荘で静養したのだが、移動の際はヨ子が付き添ってくれた。 369話 戦争の日常 16 榛名荘結核療養所は原夫妻が設立している。 4年前に来た時にはまだ開設から程なくて大変そうだったが、今は安定しているようだ。 原氏には信仰があり、わたしと気が合う。 原氏が若い頃に教会で賀川先生の講演を聞いた時の感銘を語る。 そのときの聴衆は一体となっていた。 教会(エクレシア)の意味は人が集まる、ということで、弾圧の中を集まってイエスの教えを聞くところからそもそも始まったのだ。 信徒が力を合わせるのは信仰を広めるだけでなく、世の中をよくするためで、そのために原氏は自分の闘病体験を経て、この施設を作ったのだという。 370話 戦争の日常 17 榛名荘に付き添いで来てくれたヨ子と話す。 ヨ子は設立者の原ツヤ子さんと話してきて感慨深いようだ。「狭き門より入れ」という主の言葉通りに生きている人たちだ、という。 もともと原夫婦は地域の社会改革運動の実践活動で出会い、正男氏の発病・闘病生活を何年も支えて結婚。二人はその苦難の中からこの施設を作るに至ったという。 そう語るヨ子の力を得て若返った声が、わたしにも力を与えてくれる。 371話 戦争の日常 18 ヨ子は原夫妻について、こう語る。 正男さんは22歳で発病して6年の治療の後に二人は結婚したが、その日が昭和9年10月17日、わたしたちがその年の12月23日で、どちらも聖公会の教会。 それでわたしはあの夫婦を格別に親しく思う。 因果のない二つの事象の実現に主の采配を読み取るか、偶然と思うか、人それぞれの考え方だ。 天文学者のわたしは、確率を考えての可能性を思うが、神意で人が勇気づけられることもわかっている。 ヨ子はこの夫婦との因縁でわたしが恢復し、自分たちの未来を信じようとしているのだ。 372話 戦争の日常 19 最近の暮しはどうか、とわたしはヨ子に聞く。 まずまずだというが、わたしが病欠の間も、軍では特配があるはずで、その分誰かの食い扶持が減ることをわたしは心苦しく思う。 そういっても、これは子の飢えを救うためで、主はそんな子どもに対する愛を祝福してくれるはずだ、とヨ子は話題をかえた。 国民精神総動員運動があるのに、国民はパーマやおしゃれをしたい気持ちがやまないのだという。 わたしは、これは生き物の本能で、雄から選ばれて子を産むための、やむにやまれぬ行動なのだと推し量る。 373話 戦争の日常 20 野球用語が日本語になった、とヨ子が教えてくれる。ストライクはよし一本、ボールはだめーっ というので笑うしかない。 言葉だけ変えてどうなるものでもない。第一わたしたち夫婦にとって英語は仕事の道具のようなものだった。 ラッシュ先生のことが思い出された。日本にいた宣教師の多くが戦争が近づいた際に帰国したがポール・ラッシュは帰国せず、抑留所に入れられたあと、「浅間丸」に乗せられて帰国した。 「きっと帰ってこられるよ」とわたしが言うと「それは日本が負けた時ですね」と小さな声でチヨが言った。 374話 戦争の日常 21 三日ほどでヨ子は帰り、わたしは悠然と静養することに。 大半をベッドで寝ているか外気の中、椅子に座っているかで、脳の活動も体力を使うということで、なるべくぼんやりしているように言われる。 それでもいろいろと考えが浮かぶ。「天文学」より「星学」という昔風の方がいいじゃないか、とか占星術と星学の違いとか。 持参していた「旧約聖書概論」という自著を読み返すことにする。14年前、教会で『旧約聖書』を講じるように言われて必死にまとめたものだ。 375話 戦争の日常 22 「旧約聖書概論」の目次の裏にわたしは「新約ハ旧約トイフ土台ノ上ニ立ツ 新約ノミニテハ完璧ト言フベカラズ 其ノ価値ハ時ヲ超越シテ永遠ナリ」と記した。 この書は一民族の勃興と栄光と受難の記録であるが、同じような運命をたどった民族は数限りなくあるはずが、なぜこの書だけが時を経て今まで伝わったのだろうか。 この書を書いた人々は、世界中に散っても、自分たちをこの信仰の者と信じて今もなお結束を保っている。 ヘブライ=イスラエルの民は紀元前はるか前からいたのだ。 376話 戦争の日常 23 イスラエルの民は戦闘的でその強い敵意は「詩篇」の中に表されている。 キリスト教はエホバと違って主イエスは妬みと憎しみはない。エルサレムの神殿に巣くう商人を蹴散らしたときも、憎しみではなく浄化のためだった。 ユダヤ教から生まれたキリスト教だが、その性格は親とは違う。イエスは愛、という新しい概念を提唱し、これによって民族を越えて世界に広まった。 377話 戦争の日常 24 わたしは信仰とと科学の共存で悩んだことはない。 旧約聖書では6日間で天地を創造したとあり、それは六千年前。だが科学によって地球の歴史は15億歳だとわかっている。 それらのことについて14年前にわたしが書いたものを読み返してみても、的を射ている。 聖書の言葉をそのまま信じてはいない。 世界は創造の時のまま固定されていず、万象は変化するし生物は進化する。しかし科学が信仰を駆逐してはいない。 信仰がそれ自身の力で大きくなって科学を包み込み、個々人の心に宿る信仰は満点の星となって我々の頭上にあるのだ。 378話 戦争の日常 25 九月の末に恢復して東京へ戻ったわたしは、いつもの居酒屋でMと会った。 Mはわたしのために、ソロモン諸島ベララベラで我が海軍勝利したところの参加艦隊の名前を書いてきてくれた。 『秋雲』、『風雲』、『夕雲』、『磯風』、『時雨』、『五月雨』、『文月』、『夕凪』、『松風』。 優雅な名前に感心する。比べるとアメリカは人名か州名。イギリスは強そうな形容詞。といっても、戦争そのものは押しまくられていて、近々学生たちを戦場へ送るらしい。 379話 戦争の日常 26 十月のある日、洋子が発熱したという。今日、雨の中の出陣学徒壮行会にかり出されたのだそうだ。 出陣したのは関東全域から集められた77校の学生数万人と見送る学生・生徒は5万人。明治神宮外苑の競技場で東条首相が演説をした。 演説はまず、出陣する学生たちに、時期が来たことを讃え祝い、敵も同じく学生が戦場に立っているのだから、負けずに気迫と戦闘力で必ず圧倒してこい、と鼓舞した。 380話 戦争の日常 27 大変だったな、と夕食時に洋子に声をかけると、自分たちは笑いをこらえるのに大変だった、という。 「海行かば…」の歌を5万人で合唱したが、その歌にはカバが四匹出てきたあげく、「へにこそ」という文言があるのだ、という。 生きては帰らぬ、という厳粛な歌を、可笑しくてしょうがないという年頃の陽気さに感心する。 それにしても教育というのは未来への投資である。それを中断して兵士としてなければならないこの国の先行きは暗い。 学生たちが帰ってきたときに歓迎の式典はあるのだろうか。 いや、それよりただ徴兵されて親族の万歳で送り出される兵が何百万といるのだ。 381話 戦争の日常 28 ヨ子も、卒業の歌の『やよ励めよ』のハゲのところだけ強調してみんなで教頭先生の方を見たことがあったと思い出話をする。 子どもの創意工夫だ、と私は言いつつ亡き文彦のことを考えていた。 生きていれば18歳で、ひょっとすると戦場に行くことになったかもしれない。 軍服を着た文彦が想像できない。敵に銃を向けることは彼に似合わない。 文彦は軍務に着く道を選ばなかった。 若い兵隊たち全員の平穏な帰国を主イエスに願うわたしは、自分が分裂している。 ヨ子の夫であり父親であり、聖公会の信徒であり軍人である。わたしは、自分が牧者か聖書研究者の道を選ばなかったことが苦しい。 一年ぶりに武彦がやってきた。食事をしに来たようだ。 2年ほど前、召集をまぬがれようと、一か月炒めたウドンだけ食べて15キロの減量をしたが、検査で合格してしまった。 東大仏文を出て参謀本部の暗号解読に従事している彼を、戦場に送りたくない。彼には鉄ではなく紙が似合う。 父の末次郎のことを聞くと、神戸で元気にしていて再婚することになったというが、短気を起こして銀行はやめてしまったという。 383話 戦争の日常 30 翌年兄の新が二人の息子を連れてやってきた。 兄は今は強力な新航空機の『紫電改』の一部を造る工場の長をしている、という。 2人の息子は16歳と12歳。科学の道に進ませたいのでわたしから話をしてくれ、という。 どうやら兄は戦後息子たちが生きるべき道を考えているのだ。 わたしは科学が時代と国を越えて普遍であることを話した。 2021年 9月 《山本五十六連合艦隊司令長官の戦死など、悪化する戦況は日常生活にも大きな変化を及ぼしていた。そんななか、わたしは肺の病気で療養し、改めて聖書をひもとき、信仰と科学について思いをはせた。復帰後、学徒出陣が始まった。》 384話 立教高等女学校1 水路部の仕事には太平洋などでの測量や観測が必要である。 開戦してから戦域も広がり、船も増えたが、戦況悪化で戻らぬ者がふえた。わたしが入った当時は六百名ほどだった陣容が今では三千人を超えている。 亡くなった者への喪失感と明日は我が身という恐怖感が水路部を覆っている。 海軍は西太平洋全域で劣勢で海路を守り切れていないが、人員と艦船を出さざるを得ない。 これが戦争なのだ。 385話 立教高等女学校2 各部局で空襲の脅威から守るために疎開という言葉が飛び交う。 航続距離の長い爆撃機が大挙して国土に来る日は近い。それを迎え撃つ戦闘機は不十分だし何よりパイロットがいない。 敵の爆弾搭載量は多く、威力は強く、こちらの弾が当たっても平然と飛び続けるという。 深刻なこの事態を受けて、中心部にある枢要機関を遠くに移すことになり、水路部でもこの方針が決まる。 受け入れ施設は何とかなるだろうが、職員は通勤を強いられ、労力補充もいるが男子は国内に残っていない。 386話 立教高等女学校3 第二部の部長であるわたしは、縁の深い第四課をどこに移すか、第四課長の塚本と相談した。 塚本は東京帝大時代の同僚で、同郷でもあり親しかった。 塚本は築地にある立教高等女学校を候補にあげた。 この学校は聖公会が設立していてわたしも何度か行っていて、知人もいて親しい。 そこの生徒を戦争に巻き込むことにためらいはあったが、陸軍などに手を出される前に自分の管理下に置いておきたくもある。 近隣に軍需工場がないので、誤爆される可能性も少ない。 387話 立教高等女学校4 数年前に立教高等女学校を卒業して水路部に来た浅岡という職員がいるという。彼女を使者に立てて水路部の意向を伝えよう、という話になった。 憲兵ずくではなくあくまで水路部らしく紳士的に、と言いながら、『玉砕』という言葉が増えてきた昨今、そうも言ってられない現実もある。 「撤退」を「転進、「全滅」を「玉砕」と言い換えて負けを負けとして認めない、身内でかばいあう。それでは国が亡びる… などと気を許して話せるのも塚本が純粋の理学者だからだ。 信仰がある人には心の支えがある。僕も倣いたい、と塚本が言う。 388話 立教高等女学校5 友人からのラバウルからの葉書によると、食糧自給に励んでみんな元気にやっているという。 日本はアメリカと違って、現地調達が原則だ、という話などする。 Mの受け売りだが、友人は生還できる可能性は低くないと言ってやる。 敵は作戦を変え、太平洋の島の脅威になりそうもないところは放置して行く、という。 389話 立教高等女学校6 翌日浅岡済子という職員を呼び出し、水路部からの使者をしてくれと頼む。 「お願いの趣旨はこういうことだ。まずは建物をお借りしたい。その上でできることなら生徒たちに水路部の仕事を手伝ってほしい」 浅岡に信仰の有無を聞くと、礼拝堂ではいつも祈っていた、という。 今は礼拝が禁じられ、みな素早く簡略化した形式でお祈りをしているとのこと。主はどんなお祈りでもきいて下さる、とわたしは言う。 390話 立教高等女学校7 浅岡が任務を済ませて帰ってきて言うことには、門馬校長がわたしから詳しいことを聞きたいと言ってる、とのこと。 わたしより二十歳ほど上の校長は国文と漢文が専門で、キリスト教系の学校を理念を貫いて経営していると共に、能楽の普及にも努めているとのこと。 温厚な紳士である門馬氏に、第一に建物を借りたいこと、第二に生徒たちの労力も借りたいことをお願いする。 具体的には紙とペンと算盤と計算尺と計算機での机上の仕事で、集中力を要し、間違いは許されない仕事だ、とも。 校長は受けてくれた。 391話 立教高等女学校8 外の工場に生徒を出すよりも目が届いてありがたい、と門馬校長が言う。 もう一つは、三十年学校運営に尽力した副校長だったアメリカ人が戦争前に帰国している。 おそらく彼はこの学校が聖公会のものだと伝えているだろうから、ここが爆撃される可能性は低い。 こんなことを軍人に対して言えば、憲兵に通報される恐れもある、というので、わたしは門馬氏と同じ思いなので通報はしない、と告げた。 392話 立教高等女学校9 ヘイウッドがいよいよ学校を去る時、線路脇まで生徒が見送っている光景に、電車の運転手はわざと速度を落としてくれた、という。 ヘイウッドが体現していたという聖マーガレット礼拝堂まで導かれていく道みち、すれ違う生徒が軽く頭を下げる。軍隊式の敬礼と違うのが印象的だ。 聖マーガレットというのは、11世紀スコットランドの王妃、常に弱者に心を寄せ聖地巡礼の渡し舟を設置したのだという。 人は水を渡らなければならないのだ。だから舟。そして私は艦にかかわる仕事をしている。 やがて美しく包容力ある礼拝堂の前にわたしは立った。 393話 立教高等女学校10 数日後、わたしは女学校の講堂で生徒たちに話をした――水路部は海の地図…海図を作るところです。 船が自分の位置を知るのには天測をして、精密な時刻をもとに計算する。それで緯度と経度がわかり、羅針盤でど進む方向がわかる。 が、この計算がなかなか厄介。もたもたしていると位置がずれてゆく。まして飛行機は何倍も速い。 計算を事前に済ませ、観測結果を算入するだけで自分の位置がわかるようにすると解決します。 そのための文書を「天測暦」と呼びますが、これには一字の間違いも許されない。 きみたちが担うのはそういう仕事です。 394話 立教高等女学校11 理数の得意な生徒のためにちょっと深い説明用紙も用意していた。 暦を作成する作業は、古今天文学者の観測と理論、欧米学者の天体表を使って綿密に行われる難渋な作業だ。 それを、日本人向けに改良・研究(苦節10年)・対数計算を廃して乗除を極力加減算に換える算式としてそろばんを利用し、また実算法を簡易化して労力を減じ、誤算を防ぎ、またその発見を容易にした。 ・各天体にほぼ共通する推算形式を採用して計算手の融通、適者配分の利をなし、誤算は従来の方法に比べて実に五十分の一以下に減じ、所要員数は二分の一で足り、労力は半減した。 生徒はわかったようなわからないような顔をしているが、計算には器械と算盤を使い、誤算が許されないことを理解すれば十分なので、それでいい。 この業績で塚本裕四郎たちの班は海軍省から表彰を受けた。 395話 立教高等女学校12 立教高等女学校に開設された水路部の井の頭分室には、たくさんの機材や文書が運び込まれた。 いちばん大事なのはタイガー(虎印)の優秀な計算機だ。 班を作らせて水路部の者がこの使い方を教える。 並んでいる置数レバーで数値を押しハンドルを回すと下の窓に数値が転送される。 減算はハンドルの逆回し、掛け算は足し算の繰り返しだが乗数が二桁以上だと桁をずらして同じことをする。 生徒たちは自主的に教えあい、覚え、競争しあっては笑い転げる。 397話 立教高等女学校14 女生徒たちは、戦時下で大変なことはありつつも、心は元気溌剌だと、先輩の浅岡がいう。 皆が夢中で読んでいる本は「風と共に去りぬ」と「紫苑の園」だとのこと。「紫苑の園」は知らなかった。帰ってから洋子に聞くと、毎晩妹に読み聞かせているという。 これは野村胡堂の娘松田瓊子の書いたもので、少女たちを預かる「紫苑の園」という寮を舞台にした物語。 いろいろ事件は起こるけれど、戦争とは別世界のお話の中で、万事解決できていくのがいいのだそうだ。 398話 立教高等女学校15 「紫苑の園」を読んだ。中に朝日新聞社の神風号のことが出てくる。 陸軍の偵察機でジョージ六世の戴冠式を祝うため、51時間飛行してロンドンに着。大歓迎を受けた。 その後神風号はヨーロッパ各地を飛び回った。 平和な時代だったが、特別だったのは、飛行士が我が水路部の航空暦を使っていたことだ。「紫苑の園」の中に信仰について議論する場面が出てくる。 信仰を持つと世界が狭くならないか? という一人の問に、自由で広い世界になる、と返す場面があった。 そうなのだ、信仰は人のふるまいを制限するのではなく解放するのだ。 399話 立教高等女学校16 11月の末、立教高等女学校から数キロの所がB29らしき爆撃機による空襲。 数日後にまたやられ、省線電車が止まった。 遠方の生徒たちを徒歩通学の生徒の家に泊まらせて、翌日浅岡に様子を聞くと、みな遊びに変えて楽しんでいるという。 防空壕の中でも即興のお芝居をして楽しんでいる、というので、亡き文彦がいたら、と考えてしまう。 あの子は芝居を作るのが好きだったし上手だった。この子たちには戦争が終わった後の時代があるのだ。 400話 立教高等女学校17 時代は教会へ通うことさえ難しくなってきていた。 教会の前には特高が立っている。 わたしは、制服で行って威圧しようと考えたが、向こうは初めからこっちの身分などわかっているのだし、彼らの背後にいるのはもっと大きな妖怪だ。 この困難な状況の責任を、例えばキリスト教徒に転嫁しようとしているわけだ。 ある日、知り合いの信徒が、戦死した藤田雄蔵という陸軍の命パイロットについての伝記本を渡してくれながらこんな話をしてきた。 羽仁説子が彼の伝記を書いたが、彼がクリスチャンだったので出版できなかったと。 教会という言葉のギリシャ語は人が集まる意味のエクレシア。信徒が二人いればそこは教会。一人で祈ってさえ、主が隣にいるのだからそこは教会。 401話 立教高等女学校18 無着陸周回飛行の世界記録を作った藤田雄蔵がクリスチャンであることが気になって、藤田の書いた『航空の技術と精神ー藤田雄蔵中佐遺稿』を見つけて読む。 その中で友人が書いている。 藤田の父は長くロンドンに暮らし、イギリス首相ロイド・ジョージを崇拝。家庭では洋服、洋食を徹底していた。 イギリス時代からの信仰を日本に持ち帰っていたのか。三人家族(父・母・雄蔵)は日曜に教会に通っていたのだろうか…… しかしクリスチャンである直接的な記述はどこにもない。 羽仁説子は、教会の知り合いから情報を得たのだろう。 今、わたしたちは迫害の中でこっそりと手をつなぎあっている。 402話 立教高等女学校19 藤田が使った「航研機」と呼ばれる飛行機の目的はただ一つ、給油なしで遠くまで飛ぶことのため、徹底的に空気抵抗を少なくする工夫がされている。 遠くまで飛ぶ、といっても木更津から木更津へ戻る400キロのコースを、乗員三名で29周。延べ1万1651キロ、62時間飛んだ。「神風号」「航研機」に続いて1939年に毎日新聞社が送りだした「ニッポン号」は太平洋~北米~南米~大西洋~アフリカ・ヨーロッパ~アジア大陸と渡って帰国。 55日間、飛行距離は5万キロを超えた。 こういった新聞社企画のきっかけはローソップ島での日食観測ではなかったかとわたしは思う。 いずれにしろ、航空機の威力がわかっていながらなぜ海軍は大艦巨砲主義から変針できなかったのか。 記録樹立の九か月後、藤田雄蔵少佐は中支で戦死した。 403話 立教高等女学校20 藤田少佐が銃弾を受けたのは、着陸予定地を悪天候で見つけられず、敵陣内に入り込んでしまったためだ。 いかにして自分の位置を知るか、という興味でリンドバーグの大西洋横断の記録を調べたことがある。 リンドバーグがニューヨークからパリまで無着陸で飛んだのは1927年。当時は離陸したら孤立無援だ。「セントルイス魂号」と名付けたリンドバーグの飛行機は徹底して燃料を多く積める設計がされていたため、燃料タンクで正面が見えない。 離着陸の際は横の窓から見たが、目安に白い旗を立てた。 計器類は最小限にした代わりに地図をたくさん用意した。 飛行機は上から地形がみられる。洋上飛行の最短距離を地図に書きこんで地形で確認していく。 パリに着いた時は夜だったが、大都会は明るい。33時間、5800キロを飛んで熱狂的な歓迎を受けた。 404話 立教高等女学校21 昭和19年、悪化する戦況の中でも、立教高等女学校に作られた水路部井の頭分室は「暦」を作っている。 「海軍水路部」ではなく「水路部」と名乗っているのは、海や空を行く「全ての者」が目的地へ確実に着くように準備をするのを基本思想にしているからだ。 夕方、浅岡済子が小さな冊子を持ってやってきた。 (防空壕の中で家族ごっこをして遊んだ)友人の一人が疎開で奈良に行くことになり、みんなで寄せ書きしたものを見せたい、という。 406話 立教高等女学校23 1944年夏の終わり、武彦が山下澄という許嫁を連れて挨拶にきた 。 澄さんはしっかりした感じ。小柄で、顔立ちがよく、どこかトヨに似ている。 なれそめは武彦のフランス語の生徒として知り合い、その後再会してから才能を認めて詩を書くことを薦め、詩のグループを紹介した、という。 407話 立教高等女学校24 武彦から結婚式への出席を頼まれる。 澄の履歴。 今は日本女子大の英文学部に籍があるが、勤労動員で日本赤十字社にいるとのこと。 父母は開拓に入っての北海道出身。父親はマッチの軸木の買い付けの仕事をしていたが神戸に転勤。そこで澄は産まれる。 姉と妹がいて、姉は東京女子高等師範の理科で数学を修め、延岡で女学校の先生になっている。 わたしは、自分の家系と同じく、こちらの家系でも理科と文化なのが嬉しかった。 408話 立教高等女学校25 わたしは澄さんに好感をもった。 日本女子大の英文学部で一番面白かったのがシェークスピアの授業で、英語劇ではマーキュシオ役をやった、という。 文彦が生きていたら話がはずんだろう、と思う。 ヨ子が東京女子大にいた頃は自由な雰囲気だったというが、いまの日本女子大は教養ある良妻賢母育成、という感じだという。 英語について、その大切さをヨ子と共に話す。 わたしたちは日本ど同時に世界に属している。だがそれを今は声高に言えない時代なのだ。 409話 立教高等女学校26 二人が式をあげるのは飯田橋の大神宮だというので、ヨ子が思わず何か言いそうになる。 帰ったあとでヨ子は、よりによって神社で婚礼をあげるとは、と嘆く。 信仰を失っている武彦が教会を選ぶはずはない、とわたしはいなす。 「この国の信徒はいわば荒海を行く船に乗っているようなもの。波にさらわれて去る者もいるが、主はそれぞれに浮き輪を手渡す。いずれまたよき波を得て船に帰ってくるかもしれない」 と話すと、船の比喩を使って牧師の説教のようなことを言う、とヨ子が笑った。 410話 立教高等女学校27 1944年9月末の結婚式には、私たち夫婦と、亡き文彦に代わって洋子も連れていった。 神戸からは末次郎が来た。何より花嫁の家族三人は帯広からはるばる上京してきていた。 澄さんの父、山下庄之助氏と話をする機会を得た。 山下氏は今は信仰はないが、教会に通っていたことがあるという。若い頃通った学校では創立者が新渡戸稲造、教師の中には有島武郎がいて、自分の近くにはいつもキリスト教があったのだ、という。 帯広からはるばる持ってきた、という馬肉を醤油で煮締めたものが宴席で披露され、賞味したが、遠い土地にいる馬のいる風景が想像された。 詳しくは話したがらなかったがわたしの父も北海道にいたことがあるらしい 411話 立教高等女学校28 年末久しぶりにMと会って戦況の話をする。 フィリピン沖海戦で『武蔵』が沈んだ。残った『大和』は巨体すぎて爆撃の的になりやすく46センチの主砲は攻撃に向かなくなった。 潜水艦の『信濃』はたった四百キロ走っただけで魚雷に沈められた。 このように加来が死んでから2年半、ずっと負け戦ばかりだが、この窮鼠に猫を噛む力はない。 412話 立教高等女学校29 Mが言う。 特別攻撃が制度化されて拡大している。 爆弾搭載で敵艦に体当たりすることで、命中率が上がるし、片道だから遠くまでいけるためだ。 人道に反する。志願だというのは表向きで、雰囲気を盛り上げる中でそれは強制されるという。 集団の熱狂の例でわたしは旧約聖書のマサダの戦いの話をした。 ローマ兵に攻められイスラエルの民はマサダという難攻不落の砦にこもった。 千人近い人が2年間耐えたがついに敗北の日。 戦えば殺され、降伏すれば奴隷になる、という日、人々は全員で死ぬ道を選んだ。 互いに殺し合い、最後の一人は自殺した。 しかし新約の神のイエスはこの狂乱を認めない。原理が愛だから、それでこの教えが民族を越えてひろがったのだ。 2021年10月 《戦況の悪化で、わたし(秋吉利雄)の属する水路部は分散疎開が進み、東京郊外の立教高等女学校では生徒の協力を得ながら暦を作る日々が続く。甥の武彦が許嫁の山下澄を連れてきた。1944年秋、ささやかな結婚披露宴が催された。》 413話 東京から笠岡へ 1 1945年の正月をわたしは家族と共に迎え、Mに話したことの先を考えた。 主イエスの言われた「愛によって生きよ」の愛の主体は一人一人の人間であって民族ではない。 高価な香油を、金に換えて貧民を救うことより、主に注ぐことを選んだ娼婦の行いを、なじる者がいたが主は許した。 主は個人として女を見ている。信仰はどこまでも個人の魂に関わる。 414話 東京から笠岡へ 2 空襲警報は毎晩となり、近所の人は慣れてしまって防空壕へ入ろうとしないが、どんどん住みずらい世の中になっている。 動員学徒についての新聞記事がある。 工場への出勤率は好調だが、過労、運動不足などによる消化器障害、脚気、外傷などで病欠者が跡を絶たない、という。 4か月間の病欠の理由の統計表によると、動員前に187名の欠勤者が動員後は223に増えていて、工場側に猛省を促す記事になっている。 これは科学的根拠があるのだが、比べて小磯首相の伊勢神宮空襲に際しての「謹話」はこうだ。「道義なき敵は今後もあらゆる暴戻を逞しうすると考へられますが、私はこの機会に道義の戦ひにおいても断じて米英を撃摧せんことを国民各位と共に誓ふものであります」 不測の事態に陛下の前で恐懼するのはいい。しかしこれが今の現実なのだ。爆弾は神域を区別しない。 415話 東京から笠岡へ 3 聖路加病院は今は東亜中央病院と名を変え、屋根の十字架を取り外しているが、ある日道で病院の日野原医師と出会った。 空襲警報のたびに6階の小児科から地下まで子どもらを連れていくことに苦労した看護婦が橇をで階段を滑らせて輸送することを考えたことなどを話す口調に信頼と安心を覚える。 わたしはこの医師を信頼し、看護婦を手伝いではなく独立した職掌だと考えるこの病院に全幅の信頼を置いている。 416話 東京から笠岡へ 聖路加病院はアメリカの聖公会が支援して造られた病院。 アメリカの医療をそのまま導入し、用語も英語を使用し、医師や職員にアメリカ人が多くいた。 しかし戦争になり、アメリカ人たちは帰国を余儀なくされ、英語は言い換えになった。 多くのことをアメリカから学び、関東大震災の際は、アメリカに支援されて病院まで作ってもらった。 日本は産業の規模が違うので良い薬があるとわかっていても作れない。 なぜそんな国と戦争になったのか、と日野原氏が問うてきたが、わたしにはわからない。 産業が足りない分を精神力で補う、というのは科学的に無理な話なのだ。 417話 東京から笠岡へ 家族の朝食。 麦や稗の方が多いくらいの飯に塩湯に近いような味噌汁にゴボウとズイキ入り。 子が競争で取ってくるヨモギを草餅にしようにも小豆も砂糖もない。 洋子がおかしな夢の話をするーーー 夢だから意味はないでしょ、というヨ子に、その夢は楽しいのだ、と洋子が答える。 418話 東京から笠岡へ 6 3月10日の未明、空襲警報が鳴り、家族を防空壕へ導いた。 B-29は低いところを飛んでいていつもと様子が違う。 4日は巣鴨の辺に150機襲来した。大本営は敵の被害の方が甚大だと発表しているが、誰も信じていない。 狂信的に勝利予想にしがみつく者は軍部にも町内にもいて、勇壮なたわごとを口走っている。 Mによると何千機も用意されているB-29は新鋭機で航続距離が長く、爆弾の搭載量が多く、めったなことでは落とせない。 わたしは防空壕に入り、低空で夥しい数が来ていることをヨ子に告げた。 419話 東京から笠岡へ 7 防空壕から出て見ると、煙の臭いが鼻を突き、ずいぶん遠いところの空が赤く染まっているのが見えた。 とんでもない広範囲を焼き尽くしている。 翌朝、軍服は着ずに築地の水路部に行ってみることにした。 大井町線が動いていて混みあった車内での会話で情報が少しわかる。 浜松町まで電車は動いてくれた。降りると物の焼けた匂い、焦げた匂いが迫った。 420話 東京から笠岡へ 8 浜松町の駅舎を出ると、焦げた臭いが立ちこめ空は煙で曇っている。 呆然とさまよい歩く、あるいは座り込む人々とすれ違う。 関東大震災の光景に似て、しかし今のこれは天災ではない。 汐留駅まで行くと、地方から届いた都民の生活物資の貨物が狙いも正確に燃やされていた 。 B-29の精密な照準器の活用、地理の熟知。 下町への大規模な焼夷弾投下も冷静な判断下で行われたことに戦慄した。 421話 東京から笠岡へ 9( わたしは水路部に向かった。水路部は海軍に縁が深いので爆撃されないか不安だったのだ。 建物は形を保っていたのでひと安心したが構内のあちこちから煙があがっている。 防空警戒隊の責任者がやってきてわたしをみると謝罪しながら大声で泣き始めた。 やがて面目ない、と涙をぬぐったが、面目ないのはこの国のすべての上司だとわたしは言ってやる。 ここは三名ほどの軽症者で済んだというが、在宅の職員の身を案じてもいる。 422話 東京から笠岡へ 10 いずれこうなることを警戒して水路部は十数か所に分室を持っていた。 それでも本拠の築地の被災は辛い。 水路部は1871年設立。当初は水路局という名でわずか8坪の部屋から始まった。 三十四年間築地に本拠を持ち、海図や水路書誌を軍と民に提供。一千万枚の海図を補完している。 焼夷弾が始末が悪い、まきちらされる炎は全部は消せない、と防空警戒隊の男が言う。中身はガソリンなのだ。 みんなに今日は帰るように、と言ってやる。 日本の家屋が木と紙でできていることを知った敵が市街地の焼尽と民間人の殺傷のために専用の爆弾を作ったのだ。 423話 東京から笠岡へ 11 戦況の悪化への対策として、水路部は二か所の対弾防空壕と簡易防空壕15か所設置。 重要でない建物は解体。 2年前、原版の格納施設として玉川倉庫を設け、去年は印刷関係を預かる芝浦分室を作る。 今年は観音山に、大地下壕を築いて大船分室(第一分室)とし、岡山の笠岡に第二分室を設け、第二部の業務の多くを移す。 第二部は学術的中枢の3つの課がある。(第一部はここから具体的な海図、天測歴に仕立てる) ・第三課 水路測量、磁気 ・第四課 天文、暦 ・第五課 海象全般 第三部は独立して海軍気象部となる。 作業量は増していて、去年415名の女子挺身隊を受けいれ天文計算を行うが、この施設で木村博士が地球の極運動にZ項を導入する大発見をする。 424話 東京から笠岡へ 12 焼き尽くされたという浅草の方までは行かないとしても、今の事態を知っておかなければならない。 聖路加病院へ行ってみた。 そこは想像以上の大混乱で、わたしも自然に手を貸していた。 日野原先生がわたしを見つけて、クリスチャンとしての懊悩を告げて泣き出した。 助かる見込みのない者を放置し、死ぬにまかせているというのだ。 それは医者として合理であり、主はすべて見ていて下さる、とわたしは言ってあげた。 425話 東京から笠岡へ 13 五月の末、日野原先生からアメリカ軍がまいた1枚のビラが同封された手紙が来た。 そこには聖路加病院の写真と「米国より日本への賜物」との文字があった。 文面はこうだ。 戦争を始めたのはアメリカではなく日本の軍部であるが終局はアメリカが引き受ける。 もともと日本に病院を立ててあげたのは自分たちで、平和を愛する我々はこれ以上の犠牲を求めない。 早く戦争をやめ、我々アメリカと友達になれ。君たちが怖れるべきは何百万の兵士を殺し、衣食の不足に陥れた軍部なのだ。 日野原先生は、こう書いている。 このビラを読んだ人々がここが安全だということでたくさん集まってくる。 一方、特高や憲兵がくる。 426話 東京から笠岡へ 14 ビラを読んでヨ子が聖路加にだけ爆弾を落とさないことができるのか、と問うてきた。 爆撃機には照準器があり、飛行機の惰性を鑑みた爆撃をして目的の場所に投下できると説明した。 人を殺すために爆弾投下しているアメリカは鬼畜だというヨ子。 どの国にも愚者と賢者がいる。 日本の戦争を止めようとする賢者はいても、敗者になるより国の滅びる道を選ぶ、という大臣もいるし、和平派は暗殺を怖れている。 最後は聖断ということになるだろう。 427話 東京から笠岡へ 15 六月、第二部は岡山県の笠岡に疎開することになり、わたしも家族を連れてそちらへ行くことになる。 ある日Mが連絡してきたので、(築地のいつもの店は焼けてしまっている)渋谷のハチ公前で待ち合わせる。 Mはわたしに歴史を書くためのメモを預けてきた。 そのためにカバンをひったくれないようにヒモで結んであったのだが、このヒモを受け渡ししていたら憲兵に見つかった。 やむをえず私は身分証明書を提示し、不審なら君が海軍省へ来い、と言った。 428話 東京から笠岡へ 16 笠岡の水路部の第二分室は高等女学校の校舎を借りて航空用天文暦推算の業務を続ける。 何年も先の特定の空域、特定の時刻における天体の位置を計算して文書にし、いつか誰かの役にたつために作業をするのだ。 我々には水路部魂ともいうべきものがあり、この魂は万国の水路部と共有される。 各国がおのおのの近海を測量して図に起こし、相互に提供し合う必要があるのだ。 1919年、各国はロンドンに集まって国際水路会議を開き、水路図誌の様式の統一を決め、メートル法が採用された。 1921年、モナコに国際水路局が設置され、日本もその一員になった。 1933年、日本は国際連盟を脱退し国際水路局には残ったが1939年、そこからも脱退する。 429話 東京から笠岡へ 17 笠岡に家族と共に軍の列車で引っ越す。 鉄道は狙いやすいため、爆撃を受けやすいが、復旧は早いため、人々から信頼されている。 我々は軍務なので優遇され、引っ越し荷物も兵士たちにより搬出され、至るところで優遇されるた。 汽車は、いつもの懐かしい路線を少しずつ西に進み、福山の手前の笠岡で降りる。 430話 東京から笠岡へ 18 家具や机など、学校から借りながら、水路部第二部の仕事が笠岡高等女学校で機能しはじめた。 家族の方も食糧事情が東京よりはいいとヨ子が言い、十六歳の洋子は朝、地元の女学生に交じって推算に従事した。 女学校へ行く途中、港を見下ろす小高い丘の上に城の跡があるので、歴史の先生である村上先生に、城の来歴を聞いた。 村上水軍である能島村上家が造った山城で、本格的な戦いはないまま廃城になり、石垣の一部があるくらいだという。 村上先生自身は水軍の末裔かと問うと、そうだと言うのは見栄でしかない。血はいくらでも薄まる、という。 431話 東京から笠岡へ 19 いつも海の近くで生きてきた私にとって、笠岡は海に面しているのがありがたく、軍事施設がないので安心だし、穏やかな町であった。 村上先生から詳しくこの地のことを聴く。 もとは瀬戸内航路の潮待ち港として、そして漁港としても栄えた。 15里ほど離れた内陸の吹屋の銅山で多くの人が働いていた。 そこへ、走って12時間で獲れたての魚を運んでいたことがあり、その道を「とと道」と呼んでいたが、昭和になって大きな船が走るようになると、水深の浅いここの金浦という港は廃れた。 432話 東京から笠岡へ 20 帰ってから、ヨ子に村上先生から聞いた笠岡城の話をした。 ヨ子は戦を知らずにすんだ笠岡城の反対に、島原の原城では何万人もが殺された、と話を続ける。 日本はこれからあんな風になるのか、と心配する。 天国があると信じたキリシタンと違って現在の日本人に天国はない。結局腰砕けだろうというと、ここまできて降参できないのはなぜかと問われた。 意地があるからだ。 命と意地とどちらが大事か、というヨ子にわたしは答えられない。 433話 東京から笠岡へ 21 洋子が九品仏から運んだ荷物の中にあった、と謄写版で100ページほどの料理本を持ってきた。 表紙には明治十六年九月 高等料理法 西洋料理手記の記 東京府士族 野村高治 とある。 その晩は、ヨ子が読み上げる中の料理の紹介に子どもたちが大はしゃぎした。 たとえば子牛のカツレツ、デヴィルド・オイスター(カキのバタ焼き)など。 どれも材料が手に入らず、カキを食べたことのない子もいるので、わたしはサンフランシスコで生ガキをおいしく食べた話をする。 434話 東京から笠岡へ 22 わたしはこの冊子を教会関係の知人からもらったことを思い出した。 野村高治が残した鉛筆書きのノートを子孫が謄写版に起こしたもので、武士の家に生まれた著者は聖公会の信徒となり、マダム・ペリーに雇われて築地の家に住み込んで料理を担当したようだ。 築地、聖公会、というのに縁を感じるし、居留地は今の聖路加病院だ。 武家に生まれながら料理人になる、という勇気あるこの人に好感をもった。 ということで、イチジクのプディングの作り方の紹介。 435話 東京から笠岡へ 23 7月、Mからの封書を受け取った。 かばんを保全しているか? という問いと、住民の住む日本の領土での初めての地上戦であった沖縄の陥落について。 それが6月23日で、6月13日には自分たちの1年先輩であり、海軍陸戦隊を率いていた大田実が自決した、ということが書いてあった。 436話 東京から笠岡へ 24 Mの手紙に添えられていた大田実が打電した電報 現状を看過するに忍びず頼まれたわけではないが緊急通知する。 青壮年全ては召集され、残る老婦女子は爆撃で家財全てを焼かれ、粗末な防空壕でしのいでいる。 看護婦・烹炊婦として、あるいは切込隊にも申し出てくれているが、敵がくれば老人子どもは殺され、婦女子は毒牙にかかる、ということで、娘を軍用門に捨てる者もいる。 看護婦は、重傷者を真面目に助けた。 軍から住居を移動せよ、と言われれば雨中を移動する者もある。終始一貫の奉仕と節約を強要させられながら国にご奉公しての戦闘の末に沖縄は焦土と化した。 食糧も6月いっぱいしかない。 沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを 437話 東京から笠岡へ 25 沖縄陥落を漢那さんが嘆いているだろう。 漢那少将は沖縄出身の海軍軍人でわたしより十五期上の大先輩。ハンモックナンバーは113名中3番。 漢那さんは1921年、昭和天皇が皇太子だった時の英国表敬の戦艦「香取」の艦長を務めた 。 大変な重責の中での一番の思い出は、皇太子が沖縄でイラブー汁を『大変においしい』と召し上がったことだという。 438話 東京から笠岡へ 26 わたしとMは台湾からの艦が那覇に寄港した際、数日間沖縄を旅したことがある。 港湾事務所の謝花(じゃはな)青年が案内してくれるというおで、まずイラブー汁を所望した。 少し不気味なそれは確かに滋味だった。 町を散策しても、言葉がまるでわからない。市場では昔から食べているという豚肉を売っている。 首里城の華麗な建物もみたが、あれがすべて戦火で失われたのか、とわたしは嘆いた。 439話 東京から笠岡へ 27 笠岡に赴任してしばらく。帯広の武彦から電報が届いた。 7月7日に男子誕生。母子ともに元気。夏樹と命名。 命名の理由は3つ。 夏に生まれた 親友の中村真一郎の詩で「夏野の樹」があること。 新の子の妻の名が夏野であること。 武彦と澄は詩人なのだと感じた。 440話 東京から笠岡へ 28 武彦からの手紙には妻の澄が書いた詩が同封されていた。 「なつきへ」と題されたそれは我が子への祝福の詩だが、行の終わりの母音をそろえることで韻を踏んでいるとヨ子が教えてくれた。 わたしはスティーブンソンの英詩を思い出した。 その詩も韻を踏んで、たんたか・たんたか・たんたか・たん、とリズムを刻んでいる。 441話 東京から笠岡へ 29 北海道では、室蘭などの港町が被害がひどく、帯広でも空襲があったという。 生後1週間の夏樹を抱いて防空壕に入ったが街中に充満する煙の臭いは恐怖の臭い 僕たちの近所で8か月の赤ん坊が犠牲になった。まかりまちがえば夏樹だったのかもしれない。 戦争に終わりはあるのか。 僕は幸福だけれども、将来の不安はさまざまある。 この先どうやって妻と子供を養ってゆくのか。 いろいろな所で働いてみたが、戦争のせいで先が見えない 昨日の妻が書いた詩のためのメモ。 なつきよ うけよ 天の 地の幸を 442話 東京から笠岡へ 30 八月六日の昼頃、本省から電信があった。 「 ヒロシマニシンガタバクダン」シナイハゼンメツノモヤウ」カクジケイカイセヨ」カイグンシヤウ 原子爆弾に違いない。 わたしは物理学を修めてきたので原理がわかる。警戒のしようがない。防空壕などで対処できる脅威ではないのだ。 そのエネルギーの大きさからして、輻射熱、破壊的な風圧、建物の崩壊と炎上は想像以上だろう。放射線のこともある。 マダム・キュリーの苦痛の死を招いた放射線が広島の人々の身体を貫いたのだ。 2021年 11月 《1945年3月10日の東京大空襲で、わたしの所属する築地の水路部も被災した。かねて準備していた通り、岡山の笠岡に分室を設け、家族と共に疎開した。海に面した地の生活が落ち着いた頃、甥(おい)の武彦から男児誕生との電報が届いた。》 443話 終戦/敗戦 1 八月八日の夜、すぐ近くの福山が空襲に遭った。古城山公園に登ってみる。 福山までは距離にしてわずか十キロほどなので炎上しているのが見える。次から次へと飛来するB―29の爆音まで聞こえる。 破壊力の火が無数に空から降ってくるのだ。 やめてくれ、と叫んでも彼らは作戦指令所通りに実行しているだけ。地上に人間がいるなどと考えず、任務を終えて眠りたいだけだ。 予兆のビラを見た。それにはB-29の周囲に具体的な都市名があった。爆撃予告だ。 444話 終戦/敗戦 2 八月九日夕刻。 執務中に部下が本省からの文書を持ってきた。 ナガサキニシンガタバクダン」シナイハゼンメツノモヤウ」カイグンシヤウ 息ができなくなる。わたしとヨ子の町が全滅! わたしを育て、わたしの見た景色が、人間が、一瞬で消滅した! 帰ってヨ子に告げると、ヨ子は玄関にへたりこんだ。 「おそらくもう、…もない」とわたしは町にあったものを次々に唱えた。 自分の心に喪失を伝えるために。 445話 終戦/敗戦 3 異変を察した子どもたちに話す。アメリカの原爆によって父と母の故郷がなくなった、と。 どうかこれ以上日本でもアメリカでも人が死なないように、と夕食の前の祈りを唱える。 町が燃えないように手を差し伸べて下さい。 そして夜中には、一人で祈る。 なぜ戦争が起こるのか、善と悪を識別することがなぜこれほど難しいのか。一日も早く戦争を終わらせ、大きな厄災害の停止を実現してもらいたい。 446話 終戦/敗戦 4 昼も夜も空襲警報に怯えていた国民の脳裏にあったのは大日本帝国そのものの命運である。 今のわたしたちの戦争はどういう形で終わるのか? 誰がいかなる手続きを経て戦争は終わりと宣言するのか? 軍人は官僚だから、上司の指示に個々の判断を加えて国家を運営する。行政を束ねるのは内閣で帝国議会がこれを律し、その上に陛下がいる。 二・二六事件で蜂起した者を陛下は叛乱と見なした。 今のこの国の苦境はあの時の比ではない。ことは国家の存亡であり、国民のほとんどはもう空襲はごめんと思っている。 その一方で本土決戦を叫ぶ勢力の主体は軍人である。本土決戦となればこの国がそのまま沖縄の災禍を繰り返すことになる。 国民の大半にその覚悟はないようにわたしには思われた。 447話 終戦/敗戦 5 けふ正午に重大放送 国民必ず厳粛に聴取せよ という号外が配られた。 分室では職場ごとにみなを集めてラジオの前に立つように指示を出した。 天皇陛下の玉音放送。 「ちんふかくせかいのたいせいとていこくのげんじょうとにかんがみ、ひじょうのそちをもってじきょくをしゅうしゅうせんとほっし……」 448話 終戦/敗戦 6 やがて新聞に正文が載ったがその中の一節、「世界ノ大勢亦我ニ利アラス」ここなのだとわたしは思った。 いろいろ言い訳や文飾はあるが戦争は終わった。我々は負けた 449話 終戦/敗戦 7 戦争は終わった。 わたしは職場を午後から休業にした。 明日は普通に出勤してほしい。 キリスト教徒なのに明日以降のことを思い煩う。 まずは進駐してくるアメリカの占領政策。たぶん、日本を屋台骨から造り直す案が提示されるだろう。 第一は武装解除=陸軍と海軍の解体。 つまりわたしは身分を失うだろうが、生き延びられたのだからしかたがない。 海軍省か軍令部からの指示が来るだろうが、本来の権威はなく組織を失って保身と責任回避に走るのだろう。 それが国の禄を食む官僚というものだ。 450話 終戦/敗戦 8 残務を終えて帰宅するとヨ子は戦争が終わったことで明るい顔で待っていて、次は平和のための戦に勝って敵を見返せばいい、という。 そして失職したわたしは、天文学の専門家か牧師になればいい、という。 今日の放送はご聖断だった、戦災の実態がどこまでお耳に届いていたか。首相や大臣ほかの面々が工作して最後に天皇が断を下したのだ。 そうして先祖への責任もある中で、初めて他国による占領という事態を見る天皇になるのだ。 451話 終戦/敗戦 9 8月17日、わたしは主だった部下を会議室に集め、これからの話をした。 はじめて他国の民族の軍靴が我が国の土を踏む。陛下の心境も察せられるし、軍人もこの世の終わりと思う者もいるだろう。 しかしわたしたちは生きていて、これから先は戦火で死ぬことはない。 我々水路部は海軍の中でも特殊で艦は有せず、「海軍水路部」ではなく、単に「水路部」と名乗っている。 我々には軍とは異なる戦後があるはずだ。 戦後という言葉にみなが顔をあげた。連載452話 終戦/敗戦 10(要約羊) 本省から訓令で文書をすべて焼却するように言われたことを皆に告げる。 皆の重い沈黙の中、わたしは言った。 その訓令に逆らおうと思う。 昭和12年、天皇陛下が築地の水路部に行幸したことがある。 一度は艦をあずかってみたい、というわたしの望みに対して陛下は相模湾の海図を持ってこさせてそれを広げた。 「この正月、相模湾で海生生物の採集をした。熟知している海ではあるが、船を出すたびに海図に航路を書き込む」
by hitujitonekoto
| 2021-10-15 11:33
| 新聞小説を読む「また会う日まで」
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