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404話
【羊の要約】 俊介の相談は、自分が『隅田川』の班女の前をするときは、喜久雄には舟人で出てもらえないか、というものだった。舟人は立役。喜久雄に頼める筋ではないが…と言う俊介に、喜んでやる、と喜久雄は受ける。 まずは、自分の身体が動けるようになるのには時間がかかる、と言う俊介に型通りではなく、俊介らしい班女を見せればいい、と喜久雄が助言する。 そして二人は十六歳で初めて万菊の『隅田川』をみた日のことを思い出す。
「俊介は、何をすべきか決断した。
化け猫、土蜘蛛とおどろおどろしい芸を磨いてきた。 その原点が万菊の『隅田川』であったのだと、ようやくわかりました。 自分の最後となるかもしれない舞台で「世にも美しい化け物」を一豊に見せてやらねばならない。 自分の演技で一豊の役者魂に点火しなければならないと。 「車椅子の役者」などという陳腐な妄想を恥じました。 俊介は、義足で立つことによって「化け物だが、美しい化け物」を見せようとしているのではないでしょうか。まるで骸骨のような足先となって隅田川をさまよう、既にこの世のものともつかなくなった狂女の姿が見えて参ります。
by hitujitonekoto
| 2018-02-20 11:33
| 新聞小説を読む「国宝」
|
Comments(8)
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まつの緑
at 2018-02-20 09:40
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共演依頼、冬枯さんのよみ当たりました。
通常舟人は立役がやりますが、女方がやるなら柔らかみと色気が出そうです。 それに舞踊「隅田川」から派生した「隅田川もの」と呼ばれる芝居には、女舟長が出る時もあります。シン(主役)の役者の演出になるので、そこは俊介の工夫です。
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まつの緑
at 2018-02-20 11:00
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歌舞伎の三味線音楽は演目により、清元、常磐津、竹本、長唄などがあります。舞踊隅田川は清元でした。「清元 隅田川 詞章」で検索し、歌詞一覧表から隅田川をクリックすると、歌詞が読めます。太夫の唄は「清元 隅田川」で動画検索できます。youtubeで歌詞を見ながら聴くと切ないです。いつの時代も親が子を思う気持ちは同じ。豊生の鎮魂、行く末を見ることができないかもしれない一豊、2人を思い舞うのかもしれません。私は、俊介の犠牲がないと一豊の覚醒はないと心の何処かで思っています。
清元検索をしているのは、来週清元の会があるためです。歌詞に目を通しておかないと寝落ち案件なのです。良い波長が出るので気持ちよく眠りに誘われます。上演曲に隅田川も入っていて見ていたので、よけいなことと思いながら紹介しました。歌詞は哀しくも、掛詞もあり、味わい深いです。
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muichibutu
at 2018-02-20 12:41
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俊介、どうしても舞台に立ちたいのならやるだけやるしかないだろう。やるだけやってみろよ。
作者は何かを暗示するかのように生存率に拘っているようだが、サリーっさんご指摘のように必要以上に拘らないほうが良いと思う。勿論治療に最善をつくすべきだが、後は天にまかす。 昨日はブルーハートさんの「五代目白虎は過去形」にショックを受けたが、少し考えて見た。 確かに状況は私の期待とは逆方向に進んでいます。私は今も強いた犠牲に見合ったものを与えて欲しいと考えていますが、命を懸けるに値するものもあるはずと今は考えています。だから俊介にとり舞台に立つことが命を懸けるに値するものであるのならそれも良かろうと思っています。 私には十分には理解できてはいませんが、きっと舞台に立つことで、単に生き延び以上の大きなものが得られる、遺せるのだと解釈しています。 それをじっくり見ていきたいと思います・ t
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鮎子(AT)
at 2018-02-20 14:40
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サリーさん、昨日は丁寧に一豊について思うところを語ってくださってありがとうございました。確かに一豊が喜久雄に一言挨拶をしてから出て行けば、印象がずっといいですね。よくわかりました。
まつの緑さんも、以前、一豊の「おやじがおじさんに(道成寺)を教えてもらえって」という言葉に対して、「どうか教えてください」と言うべきだと指摘されていました。 一豊には、そういう、間違いではなくてもどこかずれているところがあるような気がします。特に礼儀が重要な歌舞伎の世界ではまずいですね。 先日、まつの緑さんお勧めの『徹子の部屋』で尾上右近丈を見ました。顔立ち、物腰も明るく品がよく、礼儀正しく、何より、「鏡獅子の映像を見て、曽祖父にあたる六代目菊五郎に憧れ、もらった遺品を飾って自分の部屋を『六代目菊五郎記念館』にしていた」という、好きなもの、好きなことにありったけの情熱を注ぐところがとてもよかったです。 比べてみると、一豊は、むしろ、今時のKYな若者? やる気があるのかないのかはっきりしない、反抗的なわけでもない。要領のいいところもある。関西歌舞伎の名門の御曹司として育ち、母親の春江も昔はミナミの売れっ子、今は立派な丹波屋の女将さんなのですが。 これから喜久雄に絡む重要人物となるであろう一豊をなぜこういう若者に描いたのか。 これからの展開で成長していく様が描かれるのか。 大器、なのか。 そこに興味がわきます。
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鮎子(AT)
at 2018-02-20 14:52
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俊介の話は、『隅田川』の班女の前を演じたいが、相手役の舟人を喜久雄に頼みたいという依頼。
喜久雄は即、その話を受けます。 今はまだ両足義足のリハビリ中で、舞台に立てる状況ではない。しかし、回復を待っていては、貴重な時間が減っていってしまう。 三友にもまだ話していないと俊介は言います。 ただ、どうしても、『隅田川』を演じたいのは、昔の万菊の舞台があったからだということは感じられます。 実現するかどうか、少々心もとない気もします。 稽古なら、十分あり得ます。 旧万菊邸の跡に建てたという俊介の家。昔の関西の屋敷に似た造り。その稽古場。 俊介と喜久雄が必死に作り上げる芝居。 無性に見たい気がします。 その場にいることができるのは、一豊、でしょうか。
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まつの緑
at 2018-02-20 21:59
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隅田川は悲しい舞踊なので、ちょっとコーヒーブレイクを。
隅田川から派生した芝居で、雙生(ふたご)隅田川という芝居があります。隅田川は哀しい親子の舞踊ですが、それを芝居仕立てにしエンタメ風味を加味したものです。 隅田川で子供が死んだ悲しみにくれる班女の前、そこに現れる息子にそっくりな男の子。幻か?実は班女の前の子供は双子で、双子は不吉だと引き離して育てられ、そのもう1人の息子が駆けつけたのでした。班女の前、息子、後方支援してくれる天狗、3人はお家を揺るがす悪い家臣をやっつけるため、宙乗りで京に向かうのでした。 この芝居、江戸の人の妄想から生まれたのかもしれません。muichibutuさんの韃靼国影武者妄想、負けてないですよ。妄想上等!
今のところ、昨日の想定の範囲内で進行しているようですが、この作者のこと、どこで変化球を投げてくるかわかりません。
油断せずに展開を待ちます。 ★★★ 今日の朝日新聞の夕刊に、挿絵を描いている束芋さんの展覧会をやっていると書いてありましたね。 (松井冬子さんの作品も某所で期間限定で公開しているとも) どうしようかな。怖そうだけど、行ってみようかな、などと悩んでいます。 今日は、日本民藝館で棟方志功の板画を見て来ました。人間国宝、濱田庄司やら朝鮮半島の器ももちろん見て来ました。井戸茶碗もありました。やはりナゾの茶碗です。 棟方志功も、日本民藝館のような空間で見るのと無機質な美術館の展示空間で見るのとでは雲泥の差がありますね。また行きたくなりました。
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hitujitonekoto at 2018-02-21 10:38
羊です
muichibutuさんは、自分の読みを大切に、素直に作品に向かう方。おそらく作者が、一番読者にしたい方だろうなあ、と羊は前から思っていたのですが、 今回もmuichibutuさんに学びました。 気になった個所の課題を捨てない。 その場で解決しない。 ずっと胸にひっかけたまま、さらに読みを進め、他者の声を聞き、読みを深める。 >私は私は今も強いた犠牲に見合ったものを >与えて欲しいと考えていますが、 >命を懸けるに値するものもあるはずと >今は考えています 素敵だ~~。
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